オセアニアの歴史

米国はいつバーバリ海賊と条約を締結したのか?その歴史的経緯を解説

米国とバーバリ海賊の条約交渉の時期

アメリカ合衆国は、1795年から1815年にかけて、いわゆる「バーバリ海賊」——北アフリカのアルジェ、トリポリ、チュニスの支配者たち——と一連の条約交渉を行いました。これらの条約の主な目的は、アメリカ商船への攻撃を終わらせ、捕らえられて奴隷として売られたアメリカ人市民の解放を実現することでした。

なぜ米国は交渉を余儀なくされたのか

独立以前、アメリカ植民地の船はイギリス海軍の保護のもとで地中海を航行していました。しかし1776年の独立によりその保護を失うと、アメリカ商船は北アフリカ沿岸を拠点とするバーバリ海賊の格好の標的となり、乗員は拉致され、身代金や奴隷として扱われる被害が相次ぎました。

当時のヨーロッパ列強は、これらの政権に貢納金を払って航行の安全を買うのが通例であり、建国間もない財政的に脆弱な米国も当初は同じ道を選ばざるを得ませんでした。

主な条約と軍事行動の流れ

  • 1795年: アルジェリアとの間で条約を締結し、多額の貢納金と引き換えに捕虜の解放と航行の安全を確保しました。
  • 1801年〜1805年: トリポリがさらなる貢納を要求したことをきっかけに第一次バーバリ戦争が勃発。米国は初めて本格的な海外での軍事作戦を展開し、一定の成果を収めました。
  • 1815年: 第二次バーバリ戦争で米海軍が勝利を収めた結果、米国は以後の貢納金の支払いを恒久的に拒否できる立場を獲得しました。

歴史的意義

この一連の交渉と戦争は、若いアメリカ合衆国が「貢納金を払う国」から「自力で自国の通商と国民を守る国」へと転換する転機となりました。また、米海軍および海兵隊の発展における重要な足がかりともなり、「海岸要塞の岸へ」という海兵隊讃歌の一節にもこの時代の戦いが反映されています。