オセアニアの歴史

ナショナリズムによって引き裂かれた3つの帝国とは?その崩崩壊の歴史を解説

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパと中東の政治地図を根本から塗り替えた大きな力がありました。それがナショナリズム(民族主義)です。多民族が共存していた巨大な帝国は、それぞれの民族が「自らの国家」を求めるようになると、内部からの圧力に耐えきれなくなり、崩壊への道をたどりました。

ナショナリズムの高まりによって引き裂かれた代表的な帝国は、次の3つです。

1. オスマン帝国

1299年の建国以来、6世紀以上にわたって中東・バルカン半島・北アフリカを支配してきたオスマン帝国は、19世紀に入ると「バルカンの火薬庫」と呼ばれる地域で、ギリシャ人・セルビア人・ブルガリア人など各民族の独立運動が相次ぎました。ギリシャの独立(1830年)を皮切りに、バルカン諸国が次々と離脱していきます。

第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国は連合国によって分割され、1922年に正式に消滅。翌1923年、ケマル・アタテュルクのもとで世俗的な近代国家トルコ共和国が成立しました。

2. オーストリア=ハンガリー帝国

ハプスブルク家が統治するオーストリア=ハンガリー帝国は、ドイツ人、マジャール人(ハンガリー人)、チェコ人、スロバキア人、ポーランド人、南スラブ系诸民族など、十数もの民族を抱える「多民族国家の典型」でした。1867年のアウスグライヒ(妥協)による二重君主制は、ドイツ人とマジャール人の特権的な地位を固定化し、他の民族の不満を深めました。

1914年、サライェヴォでの皇位継承者暗殺事件(サライェヴォ事件)が引き金となり第一次世界大戦が勃発。戦争に敗れた帝国は1918年に解体され、オーストリア、ハンガリー、チェコスロバキアなどの独立国家や、ユーゴスラビア王国が誕生しました。

3. ロシア帝国

ロマノフ朝が支配するロシア帝国もまた、ポーランド人、フィンランド人、バルト系诸民族、コーカサスや中央アジアの諸民族など、膨大な数の非ロシア系民族を含んでいました。帝政期には「ロシア化政策」が推し進められましたが、これはかえって各民族のナショナリズムを刺激することになりました。

第一次世界大戦中の混乱の中で1917年に二月革命と十月革命が起こり、ロシア帝国は崩壊。フィンランドやポーランド、バルト三国などが独立を果たしましたが、その後ソ連の成立により多くの地域が再び一つの国家の枠内に組み込まれていきました。

まとめ

オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国——この3つの帝国は、いずれも多民族を武力と王朝の権威によって統合してきた存在でした。しかし、「一民族・一国」というナショナリズムの理念が広まるにつれ、その統合の正当性は揺らぎ、第一次世界大戦を契機として相次いで崩壊しました。この過程で生まれた新しい国民国家群こそが、現代のヨーロッパおよび中東の国境線の原型を形作ったのです。