オセアニアの歴史

ペリー提督による開国後、なぜアメリカはタウンゼント・ハリスを日本に派遣したのか?その理由を徹底解説

1856年、アメリカ合衆国はタウンゼント・ハリス(Townsend Harris)を初代駐日領事として日本へ派遣しました。その主な目的は、日米間の通商協定を締結し、ペリー提督が開いた日本の港がアメリカの商人や船舶にとって引き続き利用可能であることを確保することでした。ここでは、ハリスが派遣された背景と理由を詳しく解説します。

1. ペリー来航のフォローアップ——武力から外交へ

マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew C. Perry)提督による1854年の日本遠征は、日米和親条約の締結という成果をもたらし、下田と箱館(現在の函館)の港をアメリカに開放しました。しかし、これはあくまで軍艦による威圧によって実現したものであり、本格的な通商や外交の枠組みまでは整っていませんでした。そこでアメリカ政府は、ペリーの任務を外交的に完成させるため、熟練した交渉の専門家であるハリスの派遣が必要だと判断したのです。

2. 通商条約の締結

ハリスの最大の使命は、日米間の通商条約の交渉でした。アメリカは日本の市場や資源へのアクセスを求めており、一方の日本側も西洋の技術や知識の導入に関心を持っていました。この相互の利害関係が、交渉成立の重要な土台となりました。

3. 治外法権と領事裁判権の確立

ハリスは、在留アメリカ人に適用される治外法権の確立を目指しました。これにより、日本に滞在するアメリカ市民は日本の法律ではなく、自国の法律に従うことになります。さらに領事裁判権を獲得することで、アメリカの領事が自国民の利益を代表し、紛争を解決できる体制を整えようとしました。

4. 正式な外交関係の樹立

ハリスの任務には、日米間の正式な外交関係の構築も含まれていました。具体的には、外交使節の交換、在日アメリカ領事館の開設、そしてアメリカの船舶や商人のための日本の港への継続的なアクセス確保などが交渉の対象となりました。

5. 東アジアにおける影響力の確保

当時のアメリカは、東アジアにおけるヨーロッパ列強、特にロシアの影響力拡大を強く懸念していました。日本との有利な条約を結ぶことで、この地域における足場を確保し、ヨーロッパ諸国の影響力に対抗しようとしたのです。

ハリス条約の締結とその歴史的意義

こうした粘り強い交渉の結果、ハリスは1858年に日米修好通商条約(いわゆる「ハリス条約」)の締結に成功しました。この条約により、日米間の正式な外交関係が確立され、アメリカは望んでいた通商アクセス、領事裁判権、そして神奈川や長崎など追加の開港を手に入れることになりました。ハリスの交渉は、幕末日本の開国プロセスを大きく前進させるとともに、日本の近代外交の出発点の一つとして、歴史に重要な足跡を残しています。