オセアニアの歴史

ファジー・ワジー・エンジェルスはなぜ多くのオーストラリア兵を救えたのか?―ココダ・トラックの無名の英雄たち

第二次世界大戦中のニューギニア戦線で、数え切れないほどのオーストラリア兵の命を救った存在がいます。それが「ファジー・ワジー・エンジェルス(Fuzzy Wuzzy Angels)」と呼ばれるパプアニューギニアの人々です。本記事では、彼らがなぜ、どのようにしてオーストラリア兵を支えたのか、その歴史的背景と実像に迫ります。

ファジー・ワジー・エンジェルスとは誰か

ファジー・ワジー・エンジェルスとは、1942年のココダ・トラック戦役をはじめとするニューギニア戦線において、負傷したオーストラリア兵を担架で運び、食糧や弾薬の輸送を支えたパプアニューギニア先住民の男性たちに対する呼び名です。彼らは軍服を着用せず、裸足で険しいジャングルの尾根道を行き来し、重傷を負った兵士を何日もかけて安全な後方まで運び続けました。

「ファジー・ワジー」という愛称は、彼らの縮れた髪に由来する親しみのある表現で、「天使(Angels)」という言葉は、過酷な状況下で兵士を献身的に看病した姿への感謝から付けられたものです。

名称の由来となった詩

この名称が広く知られるようになったきっかけは、1942年に現地に従軍していたオーストラリア工兵、H・バート・ベロス(H. "Bert" Beros)が発表した詩「Fuzzy Wuzzy Angels」です。この詩はオーストラリア国内で大きな反響を呼び、連邦議会で朗読されたとも伝えられています。ただし重要なのは、詩の誕生前から彼らの活動自体は戦場で確かに始まっていたという点です。

過酷な条件下での献身

ココダ・トラックは、ポートモレスビーを目指す日本軍を阻止するための激戦地となりました。標高2,000メートル級の山岳地帯を通るこの小径は車両通行が不可能で、物資も傷病者もすべて人力で運ぶほかありませんでした。担ぎ手たちは担架を肩に、滑りやすい急斜面や腰まである泥濘(ぬかるみ)、熱帯性の豪雨の中を数日にわたって行軍しました。

彼らは単なる運搬者にとどまらず、負傷兵に食事を与え、傷の手当てを施し、雨露から守り、時に自分の毛布や衣類を差し出すこともありました。マラリアなどの風土病に冒されながらも任務を全うし、命がけで兵士を背負って下山を続けた姿は、多くの帰還兵の証言に刻まれています。

実在を疑う声と歴史的事実

一方で、「ファジー・ワジー・エンジェルスは実在しなかった」「その名称は後年の作品から生まれたものだ」といった主張を目にすることもあります。しかし、これは史実と矛盾する見解です。1942年11月には、戦場カメラマンのジョージ・シルク(George Silk)が撮影した、パプア人の担ぎ手が負傷兵を運ぶ有名な写真が公開され、彼らの献身はオーストラリア国民に広く知られました。さらに、元兵士たちの手記や証言、オーストラリア軍の公式記録、現在も各地に残る記念碑など、その存在を裏付ける史料は極めて豊富です。

つまり、ファジー・ワジー・エンジェルスは後世の創作ではなく、ニューギニア戦線の歴史の中で確かに生きた実在の人々なのです。詩やドキュメンタリーといった作品が名称の普及に貢献した面はあっても、彼らの功績そのものは記録として確固たるものがあります。

功績の顕彰と今日的な意義

戦争協力に従事したパプアニューギニア人は数万人に上ると推計されます。多くは正式な軍人ではなく、報酬もごくわずかでしたが、その貢献は戦局を左右するほど大きいものでした。戦後、オーストラリア政府や退役軍人会は彼らへの感謝と顕彰を続けており、ココダ・トラック沿いの村々では今も当時の記憶が語り継がれています。

ファジー・ワジー・エンジェルスの物語は、戦争において無名のまま尽力した人々の勇気と思いやりを象徴するものとして、今日も多くの人々の心を打ち続けています。