三国協商とはどこの国の同盟か
三国協商(さんごくきょうしょう)とは、20世紀初頭にイギリス・フランス・ロシア帝国の3カ国の間で形成された同盟関係を指します。ドイツとオーストリア=ハンガリー帝国の勢力拡大に対抗する目的で結ばれたもので、第一次世界大戦において連合国側の中核となりました。
3カ国が協調関係に至るまでの経緯
三国協商は、ある日突然成立した同盟ではなく、二国間の協定が段階的に積み重なって形成されたものです。
1904年:英仏協商の締結
まず1904年、長年植民地獲得をめぐって対立してきたイギリスとフランスが、「英仏協商」を締結しました。これにより両国は植民地問題での摩擦を解消し、友好関係へと転換します。
1907年:英露協商の締結
続いて1907年、イギリスとロシア帝国の間で「英露協商」が結ばれました。中央アジアやペルシャ(現在のイラン)をめぐる対立を整理し、両国も協調路線に踏み出したことで、英仏・英露の関係を通じて実質的な三国協商が完成しました。
結成の背景:ドイツの台頭への警戒
三国協商が形成された最大の要因は、当時急速に台頭していたドイツへの警戒心です。19世紀後半に統一を果たしたドイツは、産業力と軍事力を飛躍的に強化し、特に海軍の拡張は海洋国家イギリスにとって深刻な脅威となりました。
また、ドイツとオーストリア=ハンガリー帝国、さらにイタリアが加わった「三国同盟」が1882年に成立しており、これに対抗する形で、英仏露の3カ国が互いの利害を調整しながら協調関係を築いていったのです。
三国協商と第一次世界大戦
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、三国協商の3カ国は「連合国(協商国)」として戦線に立ちました。戦争中には日本やイタリア、アメリカなども連合国側に加わり、対するドイツ・オーストリア=ハンガリー側は「中央同盟国」と呼ばれました。
なお、三国協商は三国同盟のような厳格な軍事同盟ではなく、あくまで外交上の協調関係でしたが、結果として大戦における陣営形成の基盤となりました。
まとめ
三国協商とは、イギリス・フランス・ロシア帝国の3カ国による協調関係であり、1904年の英仏協商と1907年の英露協商によって実質的に成立しました。ドイツとオーストリア=ハンガリーの伸長に対抗するために形成されたこの枠組みは、第一次世界大戦における連合国側の核となり、20世紀の世界史を大きく左右することになったのです。