オセアニアの歴史

イスラエル・パレスチナ紛争はなぜ起きた?歴史的経緯を年表で徹底解説

イスラエルとパレスチナの紛争は、100年以上にわたる複雑な歴史を持つ現代最大級の国際問題の一つです。本記事では、1917年のバルフォア宣言から2017年のエルサレムをめぐる動きまで、紛争の経緯を時系列に沿ってわかりやすく整理して解説します。

紛争の起源:イギリス統治時代(1917年〜1940年代)

1917年:バルフォア宣言

イギリス政府が「バルフォア宣言」を発表し、パレスチナにおけるユダヤ人の民族の郷土(ホームランド)建設への支持を表明しました。この宣言が、後の紛争の種となったとされています。

1920〜22年:委任統治の開始

国際連盟によるイギリスのパレスチナ委任統治が正式に始まりました。イギリスはユダヤ人移民の受け入れの扉を開いたため、パレスチナ在住のユダヤ人とアラブ人の間に緊張が高まっていきました。

1930年代:移民の急増

ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の台頭や、第二次世界大戦中のホロコーストを背景に、パレスチナへ向かうユダヤ人移民が急増します。その結果、ユダヤ人とアラブ人の間の緊張はさらに悪化し、暴力事件も頻発するようになりました。

イスラエル建国と第一次中東戦争(1948年〜1949年)

1948年:国連分割決議

国連総会が決議第181号を採択し、イギリス委任統治領パレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分割することが勧告されました。ユダヤ機関はこれを受諾しましたが、アラブ側の指導部や周辺の一部の国々は強く反対しました。

1948年5月14日:イスラエル独立宣言

初代首相となるダヴィド・ベン=グリオンがイスラエル国家の独立を宣言。これは事実上の主権宣言であり、中東の歴史を大きく変える転換点となりました。

1948〜49年:第一次中東戦争

独立直後のイスラエルに対し、エジプト、ヨルダン、シリア、レバノンなどのアラブ諸国が侵攻し、第一次中東戦争(1948年アラブ・イスラエル戦争)が勃発しました。イスラエル軍は兵力で大きく劣勢でしたが、国土を守り抜くことに成功し、さらには追加の領土まで獲得しました。

1949年:休戦協定とグリーンライン

休戦協定の締結により戦争は終結し、「グリーンライン」と呼ばれる停戦ラインが設定されました。これがイスラエルとパレスチナ地域の境界線の基礎となっています。

中東戦争と領土問題の深化(1967年〜1973年)

1967年:第三次中東戦争(六日間戦争)

イスラエルとエジプト、ヨルダン、シリアとの間で六日間戦争が勃発しました。イスラエルはガザ地区、ヨルダン川西岸(1948年以降ヨルダンが支配)、シナイ半島(1956年以降エジプトが支配)を制圧し、さらに東エルサレムを占領・併合しました。現在の占領地問題の多くは、この戦争に端を発しています。

1973年:第四次中東戦争(ヨム・キプル戦争)

エジプトとシリアがユダヤ教の祝日に合わせて奇襲攻撃を行い、第四次中東戦争(ヨム・キプル戦争、別名十月戦争)が始まりました。イスラエルは開戦初期に失った領土を奪還し、戦争は最終的に膠着状態のまま終結しました。

インティファーダと和平の試み(1987年〜2000年)

1987〜93年:第一次インティファーダ

イスラエルの占領下にあるパレスチナ地域で、占領終結を求める大規模な抗議活動や暴動、暴力行為の波「第一次インティファーダ」が発生しました。

1993年:オスロ合意

イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間でオスロ合意が調印され、オスロ和平プロセスが始動しました。この合意により、ヨルダン川西岸とガザ地区のパレスチナ人を統治する「パレスチナ自治政府(PNA)」が創設され、和平への期待が高まりました。

2000〜05年:第二次インティファーダ

しかし和平プロセスは挫折し、占領地で再び抗議・暴動・暴力の波「第二次インティファーダ」が起こり、多くの犠牲者を出す激しい衝突となりました。

分断と紛争の継続(2005年〜2017年)

2005年:ガザからの一方的撤退

イスラエルはガザ地区から一方的に撤退し、同地域の全てのユダヤ人入植者を強制的に退去させるとともに、軍事施設も撤去しました。

2006〜07年:ハマースの政権獲得

パレスチナ自治政府の議会選挙でハマースが過半数の議席を獲得し、政権を樹立しました。しかし、アメリカ合衆国、欧州連合(EU)、イスラエルはこの新政府の承認を拒否しました。

2007年:ハマースによるガザ制圧

「ガザの戦い」と呼ばれる内紛の結果、ハマースがガザ地区を実効支配し、ファタハ派はヨルダン川西岸の支配を維持しました。パレスチナは二つの勢力に分裂したまま現在に至ります。

2014年:ガザ紛争(プロテクティブ・エッジ作戦)

イスラエルとハマースの間でガザ紛争が勃発しました。約50日間の戦闘の末、停戦合意によって終結しましたが、両地域に深刻な被害をもたらしました。

2017年:エルサレム問題の再燃

トランプ米大統領が、エルサレムをイスラエルの首都であると認め、米大使館を同市へ移転すると発表しました。この決定はパレスチナ側だけでなく国際社会からも批判を浴び、地域の緊張が一気に高まり、大規模なデモが発生しました。

まとめ

イスラエル・パレスチナ紛争は、植民地主義の時代に遡る領土・宗教・民族をめぐる対立が根幹にあります。バルフォア宣言から建国戦争、中東戦争、インティファーダ、そしてガザの分断まで、両者の対立は一つの出来事ではなく、積み重なった歴史の産物です。紛争を理解するためには、こうした長い歴史的経緯を押さえておくことが不可欠です。