中間植民地は王立植民地だったのか?
結論から言えば、中間植民地(Middle Colonies)はイギリス王室の直接統治下に置かれた「王立植民地」でした。
中間植民地とはどのような地域か
中間植民地とは、北米大陸においてニューイングランド植民地と南部植民地の間に位置する地域に、イギリスが建国した一連の植民地を指します。具体的には、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、デラウェアの4つの植民地が含まれていました。
この地域は肥沃な土地と便利な港に恵まれ、穀物生産や交易の中心として栄えたことから、「パン植民地(Breadbasket Colonies)」とも呼ばれています。また、オランダ、ドイツ、スコットランド系アイルランド人など多様な移民を受け入れたことも特徴の一つです。
なぜ「王立植民地」とみなされるのか
これらの植民地が王立植民地と考えられたのは、イギリス国王(王室)による直接的な支配を受けていたためです。イギリス王室は各植民地に総督(ガバナー)を任命し、その総督は本国イギリス政府の方針を現地で執行する責任を担っていました。
総督は王の代理人として行政の最高責任者であるだけでなく、議会の可決した法案に対して拒否権を行使できるなど、植民地運営の中枢的な存在でした。この体制によって、中間植民地は本国の意向を色濃く反映させながら統治されていたのです。
まとめ
中間植民地は、ニューイングランド植民地と南部植民地の間に位置し、ニューヨーク・ニュージャージー・ペンシルベニア・デラウェアの4植民地から構成されていました。イギリス王室が任命した総督を通じて直接統治が行われていたという点で、王立植民地としての性格を備えていたといえます。