南アメリカの歴史

セルタンの薬とは?植民地時代ブラジルの「新しい香辛料」とその歴史

セルタンの薬(ドロガス・ド・セルタン)とは

「セルタンの薬」(ポルトガル語:Drogas do Sertão)とは、16世紀から17世紀にかけて、植民地時代のブラジル、特に北東部の奥地(セルタン)で取引されていた各種の産物を指します。具体的には、植物、根、種子、果実、薬用ハーブなどが含まれます。この時期を「セルタンの薬サイクル」と呼ぶ研究者もいます。

これらの産物はブラジルの大地で育まれ、異国情緒あふれる希少なものとしてヨーロッパ市場で高く評価され、盛んに取引されました。ヨーロッパの人々はこれらを「新しい香辛料」とみなし、強い関心を寄せていたのです。

代表的な産物としては、ココア、ブラジルナッツ、ウルクム(アナットー)などが挙げられます。

こうした高い経済的価値に着目したポルトガル王室は、イエズス会の伝道所(ミッション)にこれらの産物の採取管理を委ねるようになりました。

歴史的背景

セルタンの薬の栽培が本格化し、高い経済価値を持つようになったのは、「エントラーダス・イ・バンデイラス」と呼ばれる遠征の時代です。これは戦略的・経済的目的を掲げた先駆的な探検遠征であり、ブラジル領土の征服と拡大を担いました。

バンデイランテス(またはセルタニスタス)と呼ばれる開拓者たちは、海外市場での富の獲得を目指し、植民地で貴金属や宝石を探索しました。

こうして「セルタンの薬」は極めて重要な経済的役割を担うようになり、ブラジル北部および北東部地域への入植を促進しました。パウ・ブラジル(染料用赤木)の採取期に続き、サトウキビがセルタンの薬と並ぶ最重要産品の一つとなったのです。

ブラジル北東部で栽培されたこれらの香辛料(ウルクム、ココア、グアラナ、クローブ、シナモン、ナッツ類、コショウ、バニラなど)は、富の蓄積を追求していたポルトガル王室の主要な収入源の一つでした。

労働力については、先住民が香辛料に関する豊富な知識を持っていたことから、先住民の奴隷労働が利用されました。しかしその後、先住民の奴隷化は禁止され、アフリカから連れてこられた奴隷労働へと置き換えられていきました。

アマゾン地域の探検とヨーロッパ諸国の侵入

当時、アマゾン地域はポルトガル人によって盛んに開発されていましたが、同時に領土征服や新たな富の追求を目論むフランス、イギリス、スペイン、オランダといったヨーロッパ諸国の侵入にもさらされていました。

こうした状況の中、ポルトガルは侵攻してきた諸勢力の撃退に成功します。そして「搾取植民地」と呼ばれる形態の植民地主義のもと、利益の追求と金融市場の拡大に注力していきました。

そのため、16世紀初頭からポルトガル人はアマゾンの密林地帯へ数多くの偵察・探検遠征を展開するようになりました。

この流れの中で、先駆的な探検家たちが登場します。彼らの遠征は単なる領土の探索にとどまらず、逃亡奴隷の捜索や先住民の捕獲(交易の対象とする、処刑する、あるいは奴隷として使役するため)も目的としていました。

こうして彼らはブラジルの森林地帯の各地へ進出し、入植地の拠点を築いていきました。しかし、サトウキビの栽培が本格化すると、「セルタンの薬」の採取は次第に衰退していきました。

17世紀以降、ポルトガル人の富の源泉はサトウキビの栽培と、全国各地での製糖工場(エンジェニョ)の建設へと移っていきます。この時代は「サトウキビ・サイクル」として知られるようになりました。

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