スーザン・B・アンソニー(Susan B. Anthony、1820年〜1906年)は、アメリカの女性参政権運動を代表する人物として知られていますが、実は高校には通っていません。特定の高校に在籍した記録は存在せず、これには19世紀初頭のアメリカ社会ならではの理由がありました。
高校に通わなかった理由:当時のアメリカの教育事情
1800年代のアメリカでは、高校教育はまだ標準化されておらず、今日のような「高校」という制度そのものが確立していませんでした。全米初の公立高校とされるボストン・イングリッシュ・ハイスクールが設立されたのは1821年ですが、それでも高校に進学できるのはごく一部の人々だけでした。
当時の大半の子どもたちは、地域の小規模な学校(ディストリクト・スクール)で基礎教育を受けた後、早いうちに働き始めるのが一般的でした。つまり、アンソニーが高校に通らなかったのは、彼女個人の選択や能力の問題ではなく、時代背景によるものだったのです。
アンソニーが受けた実際の教育
とはいえ、アンソニーは恵まれた教育環境の中で育ちました。彼女はマサチューセッツ州のクエーカー教徒(友教会)の家庭に生まれました。クエーカーのコミュニティは当時としては先進的に、女性にも同等の教育を受ける機会を与えていたことで知られています。
アンソニーは家庭で学んだほか、フィラデルフィアのクエーカー系寄宿学校に通った時期もあります。しかし、家計の苦難により学業を中断せざるを得なくなり、その後は教師として働きながら自立への道を歩みました。
教育経験が生涯の活動につながって
教師としての経験は、アンソニーにとって大きな転機となりました。男性教師との賃金格差を目の当たりにしたことがきっかけで、彼女は女性の権利、とりわけ教育と経済的な平等に関心を持つようになったとされています。
こうして培った問題意識は、やがて奴隷制廃止運動や禁酒運動を経て、生涯を捧げることとなる女性参政権(投票権)運動へと発展していきました。
まとめ
スーザン・B・アンソニーは特定の高校に通っていません。これは19世紀のアメリカで高校教育がまだ一般的でなかったためです。しかし、クエーカー家庭での教育や教師としての経験は、後に歴史を変える社会改革活動家としての彼女を育む土壌となりました。