いいえ、サンタ・アナ将軍がテキサス独立戦争中のアラモの戦い(1836年)において、自軍の全兵力をアラモ要塞に投入したわけではありません。実際に要塞攻撃に動員されたのは、彼が指揮する軍の一部、およそ1,500人から2,000人程度の部隊にとどまります。
兵力を限定した二つの理由
1. 要塞の守備は手薄だと判断していた
サンタ・アナは、アラモ要塞の守備兵が約200名前後と少なく、防御体制も万全ではないと考えていました。そのため、大規模な包囲戦や長期の攻囲戦を行う必要はなく、限られた兵力で十分に陥落させられると見積もっていたのです。
2. 戦力の温存を優先した
メキシコ軍の総司令官として、サンタ・アナにはテキサス全土を制圧するという広範な作戦目標がありました。アラモ一箇所に主力を集中させてしまえば、他方面での作戦や予期せぬ事態に対応できなくなります。このため、あえて一部の部隊のみをアラモ攻略に充て、残りの戦力は温存する方針を採りました。
その後の展開
実際、アラモ要塞は1836年3月6日、13日間の包囲攻撃の末に陥落しました。しかし、この「守備は手薄」という読みが常に正しかったわけではありません。アラモの守備兵は予想以上に頑強に抵抗し、メキシコ軍にも数百名規模の死傷者が出たと伝えられています。
また、サンタ・アナはアラモ陥落後も軍を分割して進撃を続けましたが、同年4月のサンジャシントの戦いでテキサス軍に奇襲を受け、わずか18分ほどで壊滅的な敗北を喫し、自身も捕虜となってしまいました。結果として、兵力を分散させた戦略は裏目に出る形となったのです。