第二次世界大戦中、イギリスでは空襲の危険が高いとされた都市部から、妊婦たちが積極的に避難させられました。ドイツ軍による爆撃(ザ・ブリッツ)の標的になりやすいロンドン、リヴァプール、マンチェスター、バーミンガムといった大都市は、特に危険度が高い地域とみなされていたのです。
避難先として選ばれたのは農村部
妊婦たちは主に田舎の農村部へ送られました。地方は空襲の脅威から遠く離れており、安全であるだけでなく、都市部よりも質の高い医療ケアを受けられる可能性が高いと考えられていました。
避難生活の実態
避難した妊婦の多くは、現地の家庭に間借りする形で受け入れられました。ホステルやゲストハウス(民宿)に滞在するケースもありました。これらの場所で、妊婦たちは空襲の恐怖から離れ、出産までの期間を比較的安全かつ落ち着いて過ごすことができたのです。
政府による大規模な避難計画
背景には、イギリス政府が1939年9月の開戦と同時に発動した大規模な避難計画があります。この計画では子どもたちだけでなく、妊婦や母親たちも避難の対象に含まれていました。出産予定日が近づくと、安全な地方の病院で出産できるよう手配されることも多かったといわれています。
こうした避難措置によって、数多くの妊婦とそのお腹の子どもが空襲の惨禍から守られました。戦時下における民間人保護の取り組みとして、きわめて重要な政策だったと言えるでしょう。