クーデター支持によるハワイ王国の転覆
19世紀後半、ハワイではサトウキビ産業が急速に発展していました。アメリカから移住したサトウキビ農園主たちは富と権力を拡大し続け、やがてハワイの土地や資源を自らの手で支配しようと考えるようになりました。
砂糖産業の繁栄と農園主たちの野心
当時のハワイ経済において、砂糖は最重要の輸出品でした。しかし1887年、農園主たちは武力を背景にカラカウア王に「刺突憲法(ベイオネット憲法)」と呼ばれる新憲法を受け入れさせ、王権を大幅に制限しました。さらに1890年のマッキンリー関税法によってハワイ産砂糖の特恵待遇が失われると、農園主たちの経済的打撃は深刻化し、彼らはアメリカへの併合こそが解決策だと考えるようになったのです。
1893年、王国の転覆
1893年1月、リリウオカラニ女王が憲法改正による王権回復を試みると、サンフォード・ドールらアメリカ系農園主たちはこれを口実にクーデターを決行しました。決定的だったのは、ホノルルに停泊していたアメリカ軍艦「ボストン号」から上陸した海兵隊の存在です。この軍事的な後押しにより、女王は流血を避けるために降伏を余儀なくされ、千年にわたるハワイ王国の歴史は幕を下ろしました。
共和国の樹立とアメリカへの併合
クーデター後、農園主たちは臨時政府を樹立し、1894年にはドールを大統領とする「ハワイ共和国」を成立させました。そして1898年、米西戦争を契機とした戦略的・経済的な思惑から、ハワイは正式にアメリカ合衆国へ併合されたのです。
国際法違反と100年後の謝罪
この一連の出来事は、主権国家であるハワイ王国の転覆という明白な国際法違反であり、先住民ハワイアンの自決権を踏みにじる行為でした。クリーブランド大統領自身も調査報告(ブロント報告)でクーデターへの米国の関与を認めましたが、事態を元に戻すことはできませんでした。1993年、併合から100年を迎えた際、ビル・クリントン大統領は議会決議に基づき、先住民ハワイアンに対して公式に謝罪しています。今日でも、ハワイ王朝の正当性を主張する運動は続いており、この歴史は単なる過去の出来事ではなく、現在にも続く問題として受け止められているのです。