南アメリカの歴史

1820年〜1860年、アメリカ史の最大の争点は何だったのか?――奴隷制をめぐる対立と南北戦争への道

1820年から1860年にかけてのアメリカにおいて、最大の関心事となったのは奴隷制の拡大問題、そしてそれが自由州と奴隷州の勢力均衡に与える影響でした。この対立は最終的に南北戦争(アメリカ内戦)へと発展していきます。

以下、この時期の奴隷制に関連する主要な出来事と問題を順に見ていきましょう。

1. ミズーリ妥協(1820年)

ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として連邦に加盟させた妥協案です。あわせて、ルイジアナ買収地域における北緯36度30分線を自由州と奴隷州の境界線として定めました。これにより、両勢力の一時的な均衡が保たれることになりました。

2. 無効化危機(1832年)

サウスカロライナ州が連邦の関税政策に反発し、合衆国からの脱退を示唆する事態が発生しました。同州は「州には、憲法に反すると判断した連邦法を無効化する権利がある」と主張しました。この危機は、関税の引き下げと連邦政府の権威の確認という妥協によってひとまず収拾されました。

3. ドレッド・スコット判決(1857年)

連邦最高裁判所は、奴隷身分の人々は市民ではなく、連邦裁判所で訴訟を起こす資格がないとする判決を下しました。この判決は奴隷制をめぐる議論に大きな衝撃を与え、北部と南部の緊張を一層激化させました。

4. ジョン・ブラウンの襲撃(1859年)

急進的廃奴主義者のジョン・ブラウンは、奴隷反乱を促すことを目的に、バージニア州ハーパーズ・フェリーにある連邦武器庫への武装襲撃を指揮しました。襲撃自体は失敗に終わりましたが、この事件は南北間の対立感情をさらに高める結果となりました。

5. リンカーン当選(1860年)

奴隷制の拡大に反対していたエイブラハム・リンカーンが1860年の大統領選挙で勝利したことは、南部にとって奴隷制度そのものへの直接的な脅威と受け止められました。これを受けて複数の南部諸州が相次いで連邦から脱退し、翌1861年に南北戦争が勃発することとなります。

まとめ:妥協の限界と内戦への帰結

この40年間を通じて、奴隷制問題はアメリカの政治と社会の中心にあり続けました。自由州の勢力拡大と奴隷制廃止を求める声の高まりに対し、奴隷州側は自らの政治的・経済的な地位が脅かされることを恐れ、強く反発しました。

こうした対立を政治的妥協によって解決することができなかったことこそが、最終的に南北戦争の勃発につながりました。戦争の結果、奴隷制は廃止という形で決着を迎え、数百万人の奴隷が解放されることになったのです。