1920年代のアメリカは、第一次世界大戦の惨禍を経て、ヨーロッパの紛争に深く関与しない道を選びました。「正常への回帰」が合言葉となったこの時代、大多数のアメリカ人が支持した外交政策には、以下のような特徴があります。
1. 中立主義と孤立主義
第一次世界大戦の壊滅的な経験を踏まえ、アメリカ国内では海外との複雑な関係や新たな紛争を避けたいという強い世論が形成されました。国家は孤立主義と中立主義の政策を追求し、国際的な対立に巻き込まれないことを最優先としました。この姿勢は、1930年代の中立法制定へとつながる、戦間期アメリカ外交の基本潮流となりました。
2. 国際連盟への不加盟
第一次世界大戦後に設立された国際連盟は、集団安全保障の促進と将来の紛争防止を目的とした国際機関でしたが、アメリカはこれに加入しませんでした。ウィルソン大統領が提唱した構想でありながら、上院が批准を拒否したためです。多くのアメリカ人は、国家の独立性を保ち、軍事的な関与に発展しかねない義務を負うべきではないと考えていました。
3. 軍縮と平和への取り組み
1920年代は、世界的な軍備縮小と平和推進の動きが高まった時代でもあります。アメリカは複数の国際会議に積極的に参加し、特に1922年のワシントン海軍軍縮会議では、米英日を中心とした主力艦保有量の制限(5:5:3比率)や特定の軍艦建造禁止に関する協定が成立しました。
4. ケロッグ・ブリアン条約(1928年)
ケロッグ・ブリアン条約(パリ不戦条約)は、アメリカを含む各国が署名した国際条約です。この条約は、戦争を国家政策の手段として放棄することを宣言し、署名国が紛争を平和的に解決することを約束するものでした。最終的には60以上の国が調印し、当時の平和主義の象徴とされました。
5. 限定的な介入と人道支援
アメリカは概して不干渉政策を支持していましたが、自然災害や政治的不安定に見舞われた国々に対しては、限定的ながら支援を行いました。中国やニカラグアにおける人道支援活動などがその代表例として挙げられます。
6. ドル外交
「ドル外交」とは、経済的影響力と金融力を外交目標の達成に活用する政策を指す用語です。この時期、アメリカはラテンアメリカとカリブ海地域に多額の投資を行い、政府や企業への融資を通じて友好関係を築き、資源へのアクセスを確保しようとしました。タフト政権期に始まったこの路線は、1920年代のラテンアメリカ政策にも色濃く反映されていました。
まとめ
これらの政策は1920年代のアメリカ世論においておおむね支持されていましたが、一部の政策に対しては異論や批判も存在し、国際社会におけるアメリカの役割をめぐって議論が交わされました。こうした孤立主義的な傾向はその後の中立法へと受け継がれ、第二次世界大戦前夜のアメリカ外交を形作ることになります。