南北戦争へと至った「脱退」の背景
1861年、アメリカ合衆国の複数の南部諸州が連邦からの脱退(セセッション)を宣言し、やがて南北戦争へと発展しました。きっかけとなったのは、1860年の大統領選挙におけるエイブラハム・リンカーンの当選です。奴隷制の新領土への拡大に反対するリンカーンの当選を受け、奴隷制労働に依存する南部の農園経済を持つ各州は、連邦内にとどまることへの危機感を強めていきました。
脱退の手続きは州によって異なりましたが、一般的には以下のような段階を踏んで進められました。
脱退までの5つのステップ
1. 州会議(脱退会議)の招集
リンカーン当選を受けて、南部諸州では脱退の可否を審議するための州会議(state convention)が招集されました。通常の州議会とは別に設置されるこの会議で、各州の代表者たちが脱退の是非について討議しました。
2. 脱退条例の採択
州会議の中で代表者たちは脱退問題を討議し、過半数が賛成すれば「脱退条例(Secession Ordinance)」を採択しました。これにより、州は合衆国からの正式な離脱を宣言することになります。
3. 住民投票による批准
一部の州では、脱退条例を州民の直接投票にかけることで、民意を反映させました。ただし、すべての州がこの段階を実施したわけではなく、州会議の決議のみで脱退を決めた州もありました。
4. 脱退政府の樹立
脱退条例が採択された後、州は新しい政府を組織しました。具体的には、知事の選出、議会の設立、そして州憲法の制定などが行われました。
5. アメリカ連合国(CSA)への加盟
1861年2月に成立したアメリカ連合国(Confederate States of America)は、脱退した各州の独立を承認し、軍事的支援などを提供しました。これにより、脱退州は連合国の一員としての地位を確立していきました。
脱退した11州の時系列
以下は、1860年末から1861年にかけて連邦を脱退した州の一覧です。
- 1860年12月20日: サウスカロライナ州(最初の脱退州)
- 1861年1月9日: ミシシッピ州
- 1861年1月10日: フロリダ州
- 1861年1月11日: アラバマ州
- 1861年1月19日: ジョージア州
- 1861年1月26日: ルイジアナ州
- 1861年2月1日: テキサス州
- 1861年4月17日: バージニア州
- 1861年5月6日: アーカンソー州
- 1861年5月20日: ノースカロライナ州
- 1861年6月8日: テネシー州
最初の7州(サウスカロライナ州からテキサス州まで)は、1861年2月にアメリカ連合国を結成しました。残りの4州は、同年4月のサムター要塞攻撃後にリンカーン政権が兵員動員を行ったことを受けて、相次いで脱退を決断しています。
まとめ
こうして脱退した11州はアメリカ連合国の中核を形成し、1861年4月のサムター要塞の戦いを皮切りに南北戦争が本格的に勃発しました。州ごとの手続きには差異があるものの、「州会議での審議→脱退条例の採択→(場合により)住民投票→新政府の樹立→連合国への加盟」という流れが共通していた点は、歴史的に重要なポイントです。