真珠湾攻撃――アメリカの外交姿勢を一変させた出来事
アメリカ人に、外交問題においてアメリカ自身が積極的な役割を果たさなければならないことを痛感させた出来事として最もよく知られているのが、1941年12月7日の真珠湾攻撃です。
ハワイ・真珠湾への奇襲
1941年12月7日、大日本帝国海軍はハワイのオアフ島にあるアメリカ海軍基地「真珠湾」に対し、予告のない奇襲攻撃を敢行しました。この攻撃により、2,400人を超えるアメリカ人の命が失われ、停泊していた艦船や航空機など、アメリカ太平洋艦隊の戦力の多くが壊滅的な打撃を受けました。
「屈辱の日」――アメリカの参戦へ
当時のアメリカは第二次世界大戦に対して中立の立場をとっており、多くの国民はヨーロッパやアジアで起きていた戦争に距離を置いていました。しかし、真珠湾攻撃はアメリカ全土に計り知れない衝撃と怒りをもたらしました。
翌日の12月8日、フランクリン・ルーズベルト大統領はこの日を「不名誉な日(屈辱の日)」と呼び、連邦議会での有名な演説を行いました。その結果、議会は対日宣戦をほぼ満場一致で可決し、アメリカは第二次世界大戦に正式に参戦することとなったのです。
孤立主義からの転換
真珠湾攻撃は、それまで孤立主義的な傾向が強かったアメリカ社会にとって大きな分水嶺となりました。遠く離れた太平洋上の出来事が自国に直接の被害をもたらしたという現実は、「世界の出来事は自分たちとは無関係ではない」という認識を国民に植え付けることになりました。
この出来事をきっかけに、アメリカは国際的な外交・安全保障の問題において中心的な役割を担う国家へと転換していき、戦後の世界秩序の構築においても指導的な立場を確立していくことになります。