南アメリカの歴史

なぜ1860年の選挙は南部諸州を激怒させたのか?リンカーン当選と脱退危機の背景

1861年 脱退危機とは

1860年のエイブラハム・リンカーン大統領当選は、脱退危機(セセッション・クライシス)の直接的な引き金となり、1861年のアメリカ南北戦争勃発へとつながりました。

リンカーン当選に南部諸州が反発した5つの要因

1. 保護貿易政策への不満

リンカーンは、アメリカ国内産業を守るために輸入品に関税を課す保護貿易政策を支持していました。しかし、農業に大きく依存し、自国産品の自由貿易を求めていた南部諸州にとって、これらの政策は経済的利益を損なうものとして受け取られました。

2. 州の権利と奴隷制問題

リンカーンは既存の奴隷州における即時廃止までは主張していませんでしたが、新たな準州への奴隷制拡大には断固として反対の立場を取りました。奴隷制を強く擁護していた南部諸州は、その維持に対するいかなる脅威も「州の権利」への侵害であり、「人民主権」という憲法上の原則に反するものだと捉えていました。

3. 北部支配への恐れ

リンカーンの当選と、奴隷制反対を掲げる共和党の政治的影響力の拡大により、人口で優位に立つ北部諸州へと権力の均衡が傾きつつあると南部諸州は認識しました。連邦政府が南部の経済、社会習慣、政治的影響力を制限・縮小する措置を取るのではないかという不安が広がったのです。

4. ジョン・ブラウンの襲撃と奴隷制廃止運動の高まり

1859年、奴隷制廃止論者のジョン・ブラウンによるハーパーズ・フェリーの連邦武器庫襲撃事件は、南北間の緊張をさらに深刻化させました。多くの南部人はこの事件を、北部の攻撃性を示す証拠であり、自らの生活様式の安定と安全に対する重大な脅威であると見なしました。

5. 政治的代表権の低下と少数派化

北部の人口が南部を上回るにつれ、南部諸州は政治的に不利な立場に追い込まれていると感じるようになりました。人口に関係なく各州が同数の議席を持つ上院においてさえ、発言力や代表権を失うことへの懸念が強まっていきました。

まとめ:リンカーン当選はあくまで引き金

エイブラハム・リンカーンの当選は南部離脱の触媒となりましたが、それだけが脱退の理由ではなかった点に留意することが重要です。長年にわたり未解決のまま積み重なってきた緊張関係、政治イデオロギーの相違、そして対立する経済的利益が複合的に作用し、南北戦争へと至る一連の出来事を形作ったのです。