南アメリカの歴史

なぜ奴隷所有者はミズーリ州を「辺境の田舎」とみなしたのか?

ミズーリ州は、19世紀前半のアメリカ合衆国において「奴隷州」として連邦に加盟した歴史を持つ州です。しかし、奴隷所有者たちはこの州を単なる一州ではなく、「辺境の田舎」として特別に捉えていました。その理由を、ミズーリの歴史的背景とともに解説します。

ルイジアナ買収が生んだ新天地

重要なポイントとして、ミズーリは独立当時の英国植民地だった13州(原始13州)のグループには属していません。1803年のルイジアナ買収によってフランスからアメリカへ譲渡された広大な領土の一部であり、もともとは農業と開拓の最前線、いわゆる「フロンティア」の土地でした。

つまり、ミズーリの住民は当然アメリカ合衆国の一員とみなされていましたが、その土地自体は英国植民地時代の伝統を持たない、まったくの新天地だったのです。

奴隷所有者が目をつけた理由

南部の奴隷所有者たちにとって、ミズーリは未開墾の豊かな土地が広がる格好の移住先でした。彼らはこの新しい土地こそ、プランテーション農業を拡張できる絶好の場所だと考え、次々と移り住んでいきました。

実際、ミズーリ川流域ではタバコや麻などの作物栽培が盛んになり、奴隷労働に依存する農業経済が根付いていきました。開拓途上の安価で広大な農地がある一方で、都市化や産業化はまだ進んでいなかった――これこそが、奴隷所有者たちがミズーリを「田舎」と認識していた実態です。

ミズーリ妥協と奴隷州としての加盟

1819年頃、ミズーリの連邦加盟が問題になると、奴隷州と自由州の数の均衡が国会で大きな争点となりました。その結果、1820年に成立したのが有名な「ミズーリ妥協」です。

この妥協により、ミズーリは奴隷州として、メイン州が自由州として同時に連邦加盟することで南北の勢力バランスが保たれました。以後、ミズーリは奴隷制をめぐる南北対立の最前線として、南北戦争前夜のアメリカ政治の中心的な舞台となっていくのです。

まとめ

奴隷所有者がミズーリを「田舎」と捉えたのは、それが開拓途上の農業適地であり、しかも英国植民地の伝統を持たない新天地だったからです。住民自身は合衆国の一員でしたが、土地としてはまだ発展途上のフロンティアであり、そこに奴隷労働によるプランテーション経済を広げる大きな可能性を見出したのです。