正しい答えは「いいえ」——これらはむしろ北部が持っていた強みでした。
混同されやすい南北の優位性
南北戦争(1861年〜1865年)開始時点で、人口・工場数・食料生産量・鉄道網の規模といった面で優れていたのは、実は南部ではなく北部です。よくある誤解として、これらの物質的な優位性が南部のものだと説明されることがありますが、歴史的事実とは異なります。
北部が持っていた圧倒的な物的資源
開戦当時、北部の人口は約2,200万人で、南部(約900万人)の2倍以上でした。工場数は北部が約11万に対し、南部は約1万8千にとどまります。また、鉄道総延長も北部は南部のおよそ3倍に達し、豊かな農業地帯を抱える北部は食料供給でも大きく上回っていました。さらに北部は海軍力でも優位に立ち、中央集権的な政府体制によって効率的に戦争を指揮することができました。
南部が実際に持っていた強み
とはいえ、南部にも明確な利点がありました。
第一に、南部は自国の土地で防衛戦を展開できたことです。補給線が短く、地形にも精通しており、守備側の有利さを活かせました。第二に、ロバート・E・リーやストーンウォール・ジャクソンをはじめとする優秀な軍人層と、深い軍事的伝統を有していました。第三に、故郷と生活様式を守るという強い動機付けが兵士たちの士気を高めました。加えて、綿花輸出を外交交渉の切り札としてヨーロッパ諸国の支援を期待することもできました。
結末——北部の優位性が決定打に
しかし、長期化した戦争において最終的に勝敗を分けたのは、人口・工業力・鉄道網・食料生産といった北部の物的・経済的優位でした。南部は序盤で目覚ましい戦果を上げたものの、消耗戦に耐えられる資源を持たず、4年にわたる激闘の末に降伏を余儀なくされたのです。