南アメリカの歴史

なぜ新興国アメリカの首都は「南部の都市」として建設されたのか?

ワシントンD.C.は、厳密には「南部の都市」として建設されたわけではありません。同市は、アメリカ合衆国東海岸に位置するコロンビア特別区(District of Columbia)内に、国家の首都として設立されました。

首都建設の背景

アメリカ独立後、首都をどこに置くかは北東部と南部の州の間で大きな対立点となっていました。当時の有力候補にはフィラデルフィアやニューヨークなど北東部の都市が挙げられていましたが、南部諸州はより自陣に近い場所への遷都を強く求めていました。

1790年の妥協(コンプロマイズ・オブ・1790)

この対立を解決したのが、1790年に成立した歴史的な政治取引です。財務長官アレクサンダー・ハミルトンは、連邦政府が各州の戦費負担を引き受ける「債務引受計画」の成立を望んでおり、その見返りとして、ポトマック川沿い(メリーランド州とバージニア州の間)に首都を建設することが約束されました。

地理的な位置づけ

こうして誕生したワシントンD.C.は、南北のおおよそ中間点にあたる東海岸沿いという立地を選ばれました。これは単純に「南部」というより、北部と南部の利害を調整する妥協の産物でした。初代大統領ジョージ・ワシントン自身も、この土地の選定に深く関与したとされています。

まとめ

つまり、新興国アメリカの首都が南寄りの場所に建設されたのは、建国当初の政治的妥協によるものです。ワシントンD.C.は単なる南部の都市ではなく、南北の境界付近に意図的に配置された、国家統合の象徴ともいえる都市なのです。