憲法に明記されなかった「脱退権」
州が連邦(ユニオン)から離脱する権利については、アメリカ合衆国憲法の中に明確な規定が存在しませんでした。この曖昧さゆえに、脱退権の有無は建国以来、最も激しい論争を呼ぶ問題の一つとなったのです。
対立する二つの見解
一方で、憲法は各州が結んだ「解消することのできない永続的な盟約」であるとする見解がありました。この立場に立てば、一度加盟した州が一方的に離脱する法的権利は認められないことになります。
他方、南部の脱退派(セセッション派)はまったく異なる解釈を採りました。彼らは「各州はあくまで自主的な判断で連邦に加盟したのだから、その意思を撤回して脱退する権利も等しく保持している」と主張したのです。サウスカロライナ州が1860年12月に真っ先に連邦からの脱退を宣言した背景には、こうした考え方がありました。
リンカーン政権の反駁
しかし、連邦政府はこの主張を受け入れませんでした。エイブラハム・リンカーン大統領は1861年の第一次就任演説において、連邦は「革命あるいは脱退」という例外的な手段によってしか解消され得ないと述べ、一州が単独の意思だけで合法的に連邦を離脱することはできないと明言しました。
まとめ
つまり、サウスカロライナ州が「脱退の権利を持つ」と主張できたのは、憲法に明文規定が存在しなかったことに加え、「州の自主的な加盟」という歴史的事実を根拠とする南部側の解釈によるものでした。しかし、この解釈は連邦政府には認められず、最終的には南北戦争という悲劇的な対決へと至ることになったのです。