はじめに:「モリー・ピッチャー」の名で知られる女性
メアリー・ルートヴィヒ・ヘイズ(Mary Ludwig Hays、1754年頃〜1832年)は、アメリカ独立戦争で大陸軍の砲兵として従軍したウィリアム・ヘイズの妻であり、後世には「モリー・ピッチャー(Molly Pitcher)」という愛称で広く語り継がれてきました。しかし、彼女が実際に戦場で重要な役割を果たしたのかどうかについては、歴史学上で大きな議論が続いています。
伝説の内容とその出どころ
一般に流布する物語では、1778年のモンマスの戦いにおいて、倒れた夫に代わって大砲の操作を引き受けた勇敢な女性として彼女は描かれています。また、炎天下の激戦の中で水差しを持って戦場を駆け回り、負傷兵や砲兵たちに水を届けたことから「ピッチャー(水差し)」の名が付いたとも説明されています。
ところが、こうした逸話を直接裏付ける同時代の一次資料はほとんど残っていません。「モリー・ピッチャー」という呼称が文献に登場するのは、独立戦争から数十年経過した19世紀以降であり、多くの歴史家はこの人物像が、複数の従軍女性の事例が混ざり合って形成された伝説である可能性を指摘しています。
史料的裏付けは本当に存在しないのか
厳密に言えば、「一切の記録がない」とまで断定することはできません。以下のような間接的な証拠が知られています。
- 1822年にペンシルベニア州議会がメアリーに対して年40ドルの年金支給を認めた記録。これは彼女が戦争中に軍務に従事した事実を公的に認めたものです。
- モンマスの戦いに随行した医師アルビジェンス・ウォルドーの日誌には、夫を失った女性が砲兵を支援した様子をうかがわせる記述があるとされます。
- フォージバレーでの冬営に従軍妻として同行した記録も残されています。
ただし、これらの記録は彼女の存在や従軍の事実を示すものであって、伝説にあるような「自ら大砲を撃った」という劇的な場面を直接証明するものではありません。
歴史家の見方と結論
総合すると、メアリー・ルートヴィヒ・ヘイズが独立戦争において決定的な役割を果たしたことを示す確固たる同時代の証拠は存在しない、というのが慎重な歴史家たちの共通認識です。彼女の評価は、個人の戦功というよりも、戦場や陣地で無名のまま貢献した従軍妻や女性たちの姿を象徴する記念碑的存在としての側面が強いと言えます。
つまり「モリー・ピッチャー」は、史実と伝説の境界線上に立つ存在です。彼女の物語を読み解く際には、後世に創作された英雄譚と、年金記録などで確認できる事実とを丁寧に区別する史料批判の視点が不可欠でしょう。