1820年は、メキシコ(当時はヌエバ・エスパナ)がスペインからの独立へ向かううえで決定的な転換点となった年です。スペイン本国での政変が引き金となり、植民地側の政治情勢は一変しました。ここでは、1820年前後に起こった主要な出来事を時系列に沿って解説します。
1. スペイン本国でのリエゴ革命と立憲君主制の復活
1820年初頭、スペインではラファエル・デル・リエゴ率いる軍隊が蜂起し、国王フェルナンド7世に1812年憲法(カディス憲法)の復活を承認させました。これにより、絶対王政から立憲君主制への回帰が実現します。この政変のニュースは海を越えてヌエバ・エスパナにも伝わり、独立派の指導者たちを大いに勇気づけるとともに、植民地支配体制の内部に深い亀裂をもたらしました。
2. カディス憲法の発布と保守層の不安
ヌエバ・エスパナ副王フアン・ルイス・デ・アポダカは、本国の方針に従い1820年にカディス憲法を発布しました。しかし、この自由主義的な憲法は、聖職者、高級官僚、大地主といった保守的な特権階級にとって重大な脅威となりました。既得権益を守ろうとした彼らは、むしろスペインからの独立を模索し始めます。皮肉なことに、かつての王党派の一部こそが独立運動の新たな担い手となっていったのです。
3. イトゥルビデとゲレロの提携
こうした情勢の中、副王は独立運動の指導者ビセンテ・ゲレロ討伐の任務を、スペイン軍のメキシコ生まれの高級将校アグスティン・デ・イトゥルビデに命じました。しかしイトゥルビデは、武力討伐ではなくゲレロとの交渉という道を選びます。両者は和解し、かつて敵同士だった勢力が独立という共通目標のもとに結集することになりました。
4. イグアラ計画の公布と三大保証
1821年2月24日、イトゥルビデは「イグアラ計画」を公布しました。この文書には、独立運動の理念となる三大保証が掲げられています。
- メキシコの独立 ― スペインからの完全な分離
- カトリック信仰の維持 ― 宗教的伝統の保護
- すべてのメキシコ人の団結 ― 社会的・人種的背景にかかわらない平等な統合
イグアラ計画は瞬く間に広範な支持を集め、独立運動の結集点となりました。多くの地方の軍司令官(カウディージョ)やその麾下の部隊が次々と独立側へ寝返ったことも決定的でした。広大な地域の掌握には現地軍指導者の忠誠が不可欠であり、彼らの離反によってスペイン当局の支配は急速に崩れていきました。各地で戦闘や衝突が発生しながらも、運動は全国へと拡大していきます。
5. コルドバ条約の調印とメキシコシティ入城
1821年8月24日、イトゥルビデはスペイン側代表との間でコルドバ条約に調印し、メキシコの独立が正式に認められました。続く同年9月27日、イトゥルビデ率いる「三色保障軍」はメキシコシティに凱旋入城し、スペインの統治権威は事実上崩壊しました。
6. 統治評議会の設置と第一メキシコ帝国の成立
スペイン副王に代わって新しい統治評議会(フンタ)が設置され、イトゥルビデがその議長に就任しました。評議会は独立メキシコの政治体制づくりを本格的に開始します。そして1822年、イトゥルビデは皇帝アグスティン1世として即位し、第一メキシコ帝国が誕生しました。
まとめ:1820年が意味するもの
1810年の「ドロレスの叫び」に端を発したメキシコ独立戦争は、約11年の時を経てついに完結しました。1820年という年は、直接的な大規模戦闘の年というより、スペイン本国の政変を契機として植民地内の勢力図が劇的に塗り替えられた年でした。かつての支配層までが独立へ傾いたことこそが、その後わずか1年余りで独立を成し遂げる最大の原動力となったのです。