南アメリカの歴史

モンロー主義でジェームズ・モンロー大統領が宣言したこととは?

1823年、アメリカ合衆国第5代大統領ジェームズ・モンローは、議会への年次教書(一般教書演説)の中で、後の「モンロー主義」として知られることになる重要な外交原則を発表しました。この教義は、アメリカ外交史における転換点となり、その後の米州政策の基礎を築いたものです。

モンロー主義の核心的な宣言内容

モンロー大統領は教義の中で、以下の点を明確に宣言しました。

  • 新たな植民地化の禁止: ヨーロッパ列強による南北アメリカ大陸へのさらなる植民地獲得や領土拡張は許されない。
  • 干渉への反対: 欧州諸国による中南米諸国への政治的・軍事的干渉は、アメリカ合衆国に対する敵対行為(侵略行為)とみなす。
  • 不干渉の原則: 一方で、アメリカ合衆国もヨーロッパ諸国の内政や既存の植民地には干渉しないことを約束した。

教義が出された背景

19世紀初頭、ラテンアメリカ各地ではスペインやポルトガルからの独立運動が相次ぎ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなど多くの新興独立国家が誕生しました。しかし、当時の欧州では神聖同盟を中心に、革命勢力の鎮圧と旧植民地の回復を目指す動きがありました。こうした状況の中、モンロー大統領は「アメリカはアメリカ人のためのもの」という理念のもと、新しく独立した国家群をヨーロッパの勢力圏から守る姿勢を打ち出したのです。

イギリスとの関係

当時、海上覇権国であったイギリスも、再植民地化によって貿易上の利益が損なわれることを懸念し、アメリカと歩調を合わせる立場でした。この国際環境も、モンロー主義が一定の実効性を持つ背景となりました。

モンロー主義の歴史的意義と影響

モンロー主義は当初、アメリカ単独の軍事力に支えられたものではなく、宣言としての性格が強いものでした。しかし、19世紀後半から20世紀にかけてアメリカの国力が増すにつれ、西半球におけるアメリカ外交の基本方針として定着していきました。1904年にセオドア・ルーズベルト大統領が加えた「ルーズベルト・コリラリー(ローズヴェルト追加条項)」により、アメリカが米州諸国の紛争に介入する権利を主張するなど、その解釈は時代とともに変遷しました。

それでもなお、「西半球における欧州列強の拡張を拒否する」というモンロー主義の根本思想は、新興独立国家の保護という当初の目的とともに、アメリカ外交史において極めて重要な位置を占め続けています。