1950年当時、国連軍はまだ本格的に朝鮮半島へ展開していませんでした。1950年6月25日に北朝鮮軍が南下を開始すると、その進撃は極めて迅速で、韓国軍は各地の防線を次々と突破されていきました。
こうした危機的な状況の中、韓国軍と国連軍は洛東江流域に最後の防衛線を築きました。これが大邱(テグ)と釜山(プサン)を中心とした「釜山橋頭堡(プサン・ペリメーター)」です。北朝鮮軍の猛攻により、韓国軍と国連軍はこの狭い範囲まで押し込められる形となりました。
釜山橋頭堡は朝鮮戦争全体における重要な転換点となりました。この防衛線を守り抜いたことが、同年9月の仁川上陸作戦の成功につながり、その後の戦況を大きく逆転させるきっかけとなったのです。