南アメリカの歴史

アラミンタ・ロスとは誰?――「自由のモーゼ」ハリエット・タブマンの闘いの生涯

アラミンタ・ロス(Araminta Ross、通称ミンティ)は、後にハリエット・タブマンとして広く知られることになる、19世紀アメリカを代表する奴隷制度廃止論者・女性参政権活動家です。およそ1822年、メリーランド州ドーチェスター郡のプランテーションで奴隷の子として生まれた彼女は、自らの自由のためだけでなく、他の人々の自由のためにも生涯を捧げた歴史的な人物です。

奴隷として生まれ、1849年に自由をつかむ

ロスは幼少期から過酷な労働と暴力にさらされながら育ちました。1849年、彼女は奴隷状態から逃れ、ペンシルベニア州フィラデルフィアへとたどり着きます。しかし自由を手にした後も、南に残された家族や同胞の姿を思い続け、自ら命を懸けて再び南へ向かうことを決意しました。

「黒人たちのモーゼ」と呼ばれて

以降およそ10年にわたり、彼女は地下鉄道(アンダーグラウンド・レイルロード)と呼ばれる秘密の脱出ネットワークを活用し、13回以上にわたって危険地帯へ潜入、自身の親族を含め約70人の奴隷を自由へと導いたと伝えられています。数多くの追手をかわしながら一度も逃亡者を失わなかったことから、彼女は「黒人たちのモーゼ(Moses of her people)」という愛称で呼ばれるようになりました。

この活動の中で、ロスはフレデリック・ダグラスやトマス・ギャレット、ウィリアム・スティルといった著名な廃止論者たちと緊密に連携しました。夜間の移動では北極星を目印にし、歌や合図を用いて逃亡者たちを導いたと言われています。

南北戦争では北軍の偵察員・スパイとして

南北戦争(1861〜1865年)が勃発すると、タブマンは北軍のもとで看護師、偵察員、スパイとして活躍しました。1863年のコンバヒー川襲撃作戦では武装部隊を率い、米国史上初めて軍事作戦を指揮した女性となり、数百人の奴隷を解放することに成功しました。

晩年は女性参政権運動にも尽力

戦後、彼女はニューヨーク州オーバーンに定住し、元奴隷の人々や貧しい高齢者の支援に努める一方、スーザン・B・アンソニーらとともに女性参政権運動にも力を注ぎました。彼女は「あらゆる人種の女性が平等な権利と機会を得るべきだ」と主張し、当時の人種差別と性差別の双方に対して勇敢に声を上げ続けました。

死後の評価と受け継がれる遺産

タブマン自身は読み書きの教育を受ける機会がなかったため自伝を著すことはありませんでしたが、友人サラ・ブラッドフォードによる伝記(1869年刊行)などを通じて、その勇気ある足跡は後世に詳しく伝えられました。彼女は1913年3月10日、オーバーンにてこの世を去りました。

現在、タブマンはアメリカ史上最も敬愛される人物の一人とされ、20ドル紙幣への肖像採用が決定するなど、その功績は現代にも深く刻まれています。奴隷制度の廃止と女性の権利のために生涯を捧げた彼女の姿は、正義と平等を求めて闘うすべての人々にとって、今なお輝き続ける象徴なのです。