1787年に制定されたアメリカ合衆国憲法は、奴隷制度そのものを否定することなく、奴隷州と自由州の間の政治的対立を調整するための「妥協の産物」として、この制度を一定の枠組みの中で管理しようとしました。ここでは、憲法が奴隷制度を規制しようとした具体的な仕組みと、結局成し得なかったことを解説します。
憲法が奴隷制度を規制しようとした3つの規定
1. 五分之三妥協(第1条第2節第3項)
この規定は、下院議員の議席配分および大統領選挙人の数を決める際に、奴隷人口の5分の3を州の人口として算入すると定めました。目的は、奴隷州と自由州の間の政治力のバランスを取ることにありました。結果として、南部の奴隷州は実際の有権者数を超える政治的発言力を獲得することになりました。
2. 奴隷輸入禁止条項(第1条第9節第1項)
この条項は、1808年以降の国外からの奴隷の輸入を禁止しました。これは建国の父たちが奴隷貿易の終焉を見据えた数少ない譲歩でしたが、同時に国内における奴隷売買(国内奴隷貿易)の継続までは禁じておらず、その後も奴隷制自体は存続しました。
3. 奴隷逃亡者引渡条項(第4条第2節第3項)
この条項は、各州に対して、逃亡した奴隷を所有者の元へ返還することを義務付けました。逃亡先の州ですでに奴隷制が廃止されていた場合であっても、返還は拒むことができませんでした。この規定は後に1850年の逃亡奴隷法へと発展し、北部の人々にも奴隷制への協力を強いることとなりました。
憲法が成し得なかったこと
1. 奴隷制度の廃止
憲法は奴隷制度を明示的に廃止しませんでした。むしろ、その存在を暗黙のうちに認め、規制によって管理しようとしたのです。奴隷制の完全な廃止は、南北戦争を経て1865年に批准された憲法修正第13条まで待たなければなりませんでした。
2. 奴隷制の道徳的・倫理的問題への対処
憲法は、奴隷制が本質的に不正であるという問題には一切触れず、奴隷とされた人々への非人道的な扱いを是正する仕組みも提供しませんでした。
3. 新領土への奴隷制拡大の防止
憲法は、アメリカが獲得する新たな領土への奴隷制の拡大を防ぐことができませんでした。その結果、西部開拓とともに奴隷制は広がり続け、この問題は後に国家最大の対立軸となりました。
4. 奴隷とされた人々への平等な権利と市民権の付与
憲法は、奴隷とされた人々に市民権や、自由市民が享受する権利・特典を一切認めていませんでした。彼らは法の上では「人」ではなく「財産」とみなされ、法的な人格すら持たなかったのです。
5. 公正で人道的な扱いの保証
憲法は、奴隷とされた人々を虐待や搾取、残虐な扱いから守るための仕組みを何ら確立していませんでした。こうした問題は各州に委ねられ、州ごとの扱いには大きな格差がありました。
まとめ
アメリカ合衆国憲法は、奴隷制を「規制」することで南北の対立を一時的に回避しようとしましたが、根本的な解決には至りませんでした。この妥協の限界は最終的に南北戦争という悲劇的な形で露呈し、修正第13条(奴隷制廃止)、修正第14条(市民権付与)、修正第15条(投票権)によってようやく法的な是正が実現することとなったのです。