19世紀前半のテキサスにおいて、自由アフリカ系アメリカ人(自由黒人)たちは厳しい差別と抑圧の中で、自らの自由を守るためにさまざまな方法で闘いました。ここでは、彼らが取った主な手段を紹介します。
自警委員会の結成
テキサスの自由アフリカ系アメリカ人は、自身とコミュニティを守るために自警委員会を結成しました。これらの委員会は周囲の白人の動きを監視し、必要とあれば武器を取って立ち向かう覚悟を持っていました。1835年には、テキサス東部の町ナコドーチェスの自警委員会が、白人暴徒による襲撃から町を守り抜くことに成功しています。
法廷での闘い
自由アフリカ系アメリカ人は、法的手段によっても自由を守ろうとしました。1840年、テキサスの自由アフリカ系アメリカ人のグループは自由を求めて訴訟を起こし、この案件はテキサス最高裁判所に持ち込まれました。裁判所は彼ら側に立った判決を下し、自由アフリカ系アメリカ人にも白人市民と同等の権利と特権が保障されるべきだと宣言しました。
メキシコへの逃亡
一部の自由アフリカ系アメリカ人は、1829年に奴隷制を廃止していたメキシコへ逃れる道を選びました。多くの人々は、当時メキシコ領だったコアウイラ・イ・テハス州に定住し、新たな生活を築きました。
組織的な抵抗と武装闘争
さらに、武装反乱という形で奴隷制に立ち向かった人々もいました。19世紀初頭、デンマーク・ヴィージーやナット・ターナーといった指導者が、アメリカ合衆国で大規模な奴隷反乱を主導しました。これらの反乱はいずれも鎮圧されましたが、奴隷制に抗う自由アフリカ系アメリカ人の強い決意と抵抗の意志を世に示すこととなりました。
テキサスにおいても、自由アフリカ系アメリカ人は1835年から1836年のテキサス革命でメキシコ軍に加勢しました。彼らはサンジャシントの戦いでメキシコ軍と共に戦い、この戦いはテキサス独立の決定打となりました。しかしながら、戦後成立したテキサス共和国は、かつて彼らに約束されていたはずの権利や市民権を認めることはありませんでした。