南アメリカの歴史

ローマ上院に護民官は何名いたのか?古代ローマの護民官の役割を解説

ローマ上院に護民官は存在しなかった

古代ローマにおいて、護民官(トリブヌス・プレビス)は上院(元老院)の一員ではありませんでした。したがって、「ローマ上院に何名の護民官がいたのか」という問いに対する答えは「0名」です。護民官はあくまで平民(プレブス)の利益を守るために選出された独立した公職であり、上院とは別の立場に置かれていました。

護民官とはどのような役職か

護民官は、貴族(パトリキ)中心の政治に対抗して平民の権利を守るために設けられた役職です。紀元前494年、平民が貴族の圧政に抗議してローマ市を去った「第一次平民離脱」をきっかけに創設されました。以後、護民官は平民階級の代表者として政治に介入する重要な存在となりました。

護民官の定員は毎年10名

当初は2名だった護民官は、紀元前471年に5名へ、さらに紀元前457年には10名へと増員され、共和政ローマの終わりまでこの10名体制が維持されました。護民官は毎年民会で選出され、任期は1年間でした。

上院を牽制する強力な拒否権

護民官には「インテルケッシオ」と呼ばれる強力な拒否権が与えられていました。これにより、上院の決定や執政官(コンスル)などの高官の措置が平民の利益に反すると判断した場合、それを阻止することができました。また、護民官の身体は「神聖不可侵」とされ、いかなる者も彼らに手を出すことは許されませんでした。

ただし、護民官は上院の議員として会議に参加する立場ではありません。通常は元老院議事堂の入り口付近に座って議論に耳を傾け、平民の利益が脅かされる場面で初めて介入するという形をとっていました。

まとめ

護民官は上院の内部にはおらず、毎年10名が選出される平民の代表機関でした。むしろ上院の権限を外側から監視し、牽制する役割を担っていた点が、古代ローマの政治制度における大きな特徴といえます。なお、護民官を務めた経験は後に元老院議員となる登竜門の一つにもなり、共和政末期にはグラックス兄弟のように護民官の地位を利用して改革を推進した人物も現れました。