米国領土における奴隷制度の禁止という構想に対して、南部諸州の反応は概して否定的で敵対的なものでした。南部の人々は、奴隷制度を自らの経済と生活様式を支える不可欠な制度とみなし、それを制限または廃止しようとするあらゆる試みに断固として抵抗しました。彼らは、奴隷制度こそが南部の社会・経済体制の維持に必要であり、憲法によって保護されていると主張したのです。
南部が示した主な反応
1. 経済上の懸念
南部経済は、綿花などの換金作物の栽培を中心として、奴隷労働に大きく依存していました。そのため多くの南部人は、奴隷制度の廃止は経済的破滅と社会的混乱をもたらすと確信していました。
2. 州権(States' Rights)の主張
南部人は州権の原則を強調し、連邦政府には各州内部の奴隷制度に干渉する権限はないと主張しました。奴隷制度に関する法律や政策を決定するのは、それぞれの州に与えられた権利であると主張したのです。
3. 政治的権力の行使
南部人は合衆国議会において大きな政治力を握っており、領土における奴隷制を制限・廃止することを目的とした法案をしばしば阻止し、議事妨害(フィリバスター)によって対抗しました。
4. 社会秩序への脅威
南部人は、奴隷制度の廃止は既存の社会秩序を崩壊させ、人種間の平等につながると主張しました。彼らにとってそれは望ましくないばかりか、極めて危険な変化であるとみなされていたのです。
5. 無効化と連邦離脱の脅し
領土における奴隷制禁止の提案に対して、一部の南部人は、自らの利益を守り奴隷制度を維持するために、連邦法を無効化すると脅し、さらには連邦からの脱退(セセッション)までほのめかしました。
6. 妥協の試み
こうした強硬な抵抗にもかかわらず、奴隷制拡大の問題を一時的に解決するため、南北間でいくつかの妥協が成立しました。その代表例が1820年のミズーリ妥協と1850年の妥協であり、これらは領土における奴隷制拡大の境界線を定めるものでした。
妥協の限界と南北戦争への道
しかしながら、これらの妥協は、奴隷制度をめぐる南北間の深い対立と緊張を根本的に解決するには至りませんでした。そしてこの亀裂は最終的に、1861年の南北戦争(アメリカ内戦)の勃発へとつながっていったのです。