チェ・ゲバラとサルバドール・アジェンデの死:CIAの関与について
「チェ・ゲバラやサルバドール・アジェンデは共産主義者だったためCIAに殺害された」という見方が広く知られていますが、歴史的事実としては、両者ともCIAによって直接殺害されたわけではありません。以下でそれぞれの経緯と、当時のアメリカ合衆国大統領について詳しく解説します。
チェ・ゲバラの最期(1967年)
キューバ革命の英雄として知られるアルゼンチン出身の革命家チェ・ゲバラは、1967年10月、ボリビアでのゲリラ活動中にCIAの訓練を受けたボリビア軍部隊によって捕らえられました。その後、ボリビア政府の命令により処刑されました。つまり、処刑を命じたのはボリビア当局であり、CIAが直接引き金を引いたわけではありません。ただし、捕獲作戦には米国からの支援や協力があったとされています。当時のアメリカ合衆国大統領はリンドン・B・ジョンソンでした。
サルバドール・アジェンデの死(1973年)
世界初の民主選挙によるマルクス主義政権として注目されていたチリのサルバドール・アジェンデ大統領は、1973年9月11日に発生した軍事クーデター(チリ・クーデター)の際、首都サンティアゴの大統領府モネダ宮殿で死亡しました。死因については自殺だったとする説が有力ですが、その詳細は現在でも議論が続いています。このクーデターはアメリカ合衆国(ニクソン政権およびCIA)の支援を受けていたことが後に明らかになりましたが、クーデター自体を直接実行したのはチリ軍です。当時のアメリカ合衆国大統領はリチャード・ニクソンでした。
まとめ
両者の死においてCIAは訓練や資金提供などを通じて間接的な役割を果たしたと考えられていますが、「CIAが直接殺害した」という表現は正確ではありません。チェ・ゲバラが処刑された1967年のアメリカ大統領はジョンソン氏、アジェンデが亡くなった1973年の大統領はニクソン氏でした。冷戦期における米国の介入の歴史を理解するうえで、こうした区別を正確に把握することが重要です。