南アメリカの歴史

なぜロシアはオレゴン地方の領有権を放棄したのか?その歴史的真実

はじめに:意外な事実

「ロシアはなぜオレゴンの領有権を放棄したのか」という疑問はよく見かけますが、実はこの問いには重要な前提の誤りがあります。歴史的事実として、ロシアはオレゴン地方に対して正式な領有権を主張したことが一度もなかったのです。つまり「放棄」したのではなく、そもそも主張自体が存在しなかったといえます。

オレゴン地方とはどんな場所か

オレゴン地方(Oregon Country)とは、19世紀前半の北米大陸西海岸において、現在のオレゴン州、ワシントン州、アイダホ州の一部、さらにはカナダのブリティッシュコロンビア州南部に相当する広大な地域を指します。おおむね北緯42度から北緯54度40分までの範囲です。

領有権を主張していたのはどの国か

この地域をめぐって領有権を主張したのは、次の3か国です。

  • スペイン:18世紀後半、太平洋沿岸の探検やヌートカ湾での活動を通じて主張しましたが、1819年のアダムズ=オニス条約で米国へ権利を譲り、撤退しました。
  • イギリス:ハドソン湾会社の毛皮交易網を基盤に、この地域で強い影響力を維持しました。
  • アメリカ合衆国:ルイス&クラーク探検隊(1804〜1806年)以降、「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」の思想とともに主張を強めていきました。

1818年の英米条約により、両国は国境を確定しないまま「共同占領」という形で一時的に共存しました。しかし移民の増加による緊張が高まった結果、1846年のオレゴン条約で北緯49度を国境とすることが合意され、南側がアメリカ領、北側がイギリス領(後のカナダ)となりました。

では、ロシアはどこまで関わっていたのか

ロシアの北米における関心は、あくまでアラスカ(ロシア領アメリカ)を中心としたものでした。ロシアが正式に主張した領土の最南端は北緯54度40分、すなわちオレゴン地方の北限にあたる線でした。

1824年の露米条約および1825年の英露条約によって、ロシア勢力の南下は北緯54度40分線で止められ、それ以南への領有権主張を公式に断念しています。また、1812年にはカリフォルニア北部に「フォート・ロス」と呼ばれる入植地を建設し、一時的に農業・補給拠点として利用しましたが、これは正式な領土主張ではなく、1841年には売却されています。

結論

まとめると、ロシアはオレゴン地方の領有権を「手放した」のではなく、最初から正式な領有権を持っていなかったということです。オレゴンをめぐる争いは、スペイン、イギリス、アメリカの三者によるものであり、ロシアは自らの勢力圏を北緯54度40分以北に限定する条約を早期に結び、太平洋岸南西部への野心をあらかじめ切り捨てていたのです。