南アメリカの歴史

アメリカが第二次世界大戦に参戦したのは1941年、開戦から2年後——では、1939年に戦争が始まった要因とは?

まず前提として整理しておきたい点があります。第二次世界大戦は1939年9月1日、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻によって始まりました。一方、アメリカ合衆国が本格的に参戦したのは、それから2年以上経った1941年12月7日、日本軍による真珠湾攻撃を受けてからのことです。つまり、1939年の開戦時点において、アメリカは交戦国には含まれていません。

第二次世界大戦の開戦——1939年9月1日

1939年9月1日未明、ドイツ国防軍がポーランドへ侵攻しました。これに対し、イギリスとフランスは9月3日にドイツへ宣戦布告を行い、ヨーロッパにおける戦争が正式に勃発します。ポーランド侵攻の直接的な口実となったのは、ダンツィヒ(グダニスク)回廊をめぐる領土問題や、ドイツ自身が仕組んだとされる「グライヴィッツ放送局襲撃事件」などでした。

開戦につながった主な要因

1. ヴェルサイユ条約への反発

第一次世界大戦後に結ばれたヴェルサイユ条約は、ドイツに莫大な賠償金、領土削減、軍備制限を課しました。この「屈辱的な条約」への不満が国民感情として蓄積し、ナチ党の台頭とヒトラーの権力掌握(1933年)の土壌となりました。

2. ナチス・ドイツの膨張主義

ヒトラー政権は「生存圏(レーベンスラウム)」の獲得を掲げ、1938年にはオーストリア併合(アンシュルス)を実現し、続くミュンヘン会談ではチェコスロバキアのズデーテン地方を割譲させました。英仏の宥和政策は侵略を食い止められず、むしろヒトラーの野心を助長したという見方も強いです。

3. 英仏の保証と独ソ不可侵条約

1939年3月、ドイツがチェコスロバキア全土を占領すると、イギリスとフランスはポーランドの独立を保障する方針へ転換しました。しかしヒトラーはこれを意に介さず、同年8月23日にソ連との独ソ不可侵条約を締結。東側からの懸念を取り除いた上で、9月1日のポーランド侵攻に踏み切ったのです。

なぜアメリカはすぐに参戦しなかったのか

当時のアメリカ国内では、第一次世界大戦の経験から孤立主義的な空気が強く、一連の中立法によって交戦国への武器輸出などが制限されていました。「ヨーロッパの戦争に介入すべきではない」という世論が主流だったのです。

ただし、ルーズベルト政権は1941年のレンドリース法制定などを通じてイギリスやソ連へ大量の物資支援を行っており、公式な参戦以前から事実上の「準参戦」状態にありました。

アメリカの参戦——1941年12月

1941年12月7日、日本海軍によるハワイ・真珠湾攻撃を受けたアメリカは、翌12月8日に議会で対日宣戦を決議します。さらに12月11日には、日独伊三国同盟を根拠にドイツとイタリアが対米宣戦したため、アメリカはヨーロッパ戦線にも正式に参戦することになりました。

まとめると、第二次世界大戦の開戦(1939年)はドイツのポーランド侵攻と、それに対する英仏の宣戦布告によってもたらされたものであり、アメリカはその時点では参戦していません。アメリカが本格的に戦争へ関与するようになったのは、真珠湾攻撃を契機とする1941年末のことです。