ジェームズ・K・ポーク(James K. Polk)大統領は、オレゴンをアメリカ合衆国の一部として獲得するうえで極めて重要な役割を果たした人物です。1818年の条約以降、アメリカとイギリスが共同で占拠してきたオレゴン準州は、ポーク政権期に両国間の領土問題として表面化しました。ポークはこの紛争を解決し、オレゴン準州をアメリカのものとすることに強い意欲を持っていました。
ポーク政権下での主な動き
1. 「54°40' or Fight」政策の掲げ
ポーク率いる民主党は、1844年の大統領選挙において強硬な立場を打ち出し、北緯54度40分線までのオレゴン準州全域の併合を訴えました。この構想が実現すれば、当時イギリスが支配していた南アラスカ方面もアメリカの管理下に置かれることになります。この主張は後に「54°40' or Fight(54度40分か、さもなくば戦争だ)」として広く知られるようになりました。
2. イギリスとの外交交渉
表向きは強硬な姿勢を崩さなかった一方で、ポークはイギリスとの妥協点を見いだすための外交努力も並行して進めました。当初は北緯49度線による領土分割案を拒否しましたが、最終的にはバンクーバー島をイギリス領として残すことを条件に、49度線を国境とする合意に達しました。
3. 1846年のオレゴン条約
1846年6月15日、正式名称を「ワシントン条約」と呼ぶオレゴン条約がアメリカとイギリスの間で調印され、長引いたオレゴンの国境紛争についに決着がつきました。この条約により、ロッキー山脈から太平洋に至る区間で、北緯49度線がアメリカと英領北アメリカ(現在のカナダ)の境界線として確定しました。
4. オレゴンの米国準州化と州昇格
1846年6月18日にアメリカ上院がオレゴン条約を批准したことで、現在のオレゴン州・ワシントン州・アイダホ州、さらにモンタナ州とワイオミング州の一部にあたる広大なオレゴン準州の支配権をアメリカが手にしました。同地域は1848年に正式な米国準州として組織され、その後1859年に連邦33番目の州として州に昇格しました。
まとめ:ポークの遺産
ジェームズ・K・ポーク大統領は、揺るぎない指導力と柔軟な外交手腕によって、オレゴン準州をアメリカにもたらすことに成功しました。これは単なる領土拡大にとどまらず、その後のアメリカの西部開拓と国家発展への大きな道筋を開く歴史的な転換点となったのです。