
「王に酒を!」——杯持ち官(エシャンソン)のこの掛け声は、グラン・クーヴェール(王の公式食卓)におけるワインと水の儀式の始まりを告げる合図であった。当時はワインを水で割って飲むのが慣例で、国王自身もこの飲み方を好んだという。では、この儀式とはどのようなものだったのか。ワインはどのように入手され、どこに保管されていたのか。そして、王の食卓にはどんなワインが並んでいたのだろうか。
献酒の儀式
国王が飲み物を所望すると、そばに控えていた杯持ち官は「王に酒を!」と高らかに叫ぶ。衛兵に先導され、彼はブイフィ(給仕台)へ向かう。そこには飲料係(エシャンソヌリー=ブーシュ)の長が常駐しており、長は杯持ち官に金の盆を手渡す。盆の上にはデカンター2本、銀鍍金(ヴルメイユ)のテイスティング用の杯、そして毒殺防止のために覆いをかけられた国王専用のグラスが載っている。
国王の前に戻ると、二人は深く一礼し、ワインと水を混ぜる試験を始める。まず飲料係の長が味を確かめ、次に杯持ち官がそれに続く。検査に問題がなければ——つまり水にもワインにも毒が含まれていなければ——杯持ち官は再び一礼してからグラスの覆いを取り、水割りワインを注いだ盆を君主に差し出す。国王が飲み終えてグラスを盆に戻すと、杯持ち官はそれに覆いをし、最後の一礼の後、盆を飲料係の長へ返却する。長はそれをブイフィへ運び戻す。大儀式の際には、肩に銃を担いだ衛兵がブイフィから食卓までこの行列に随行した。
日常の飲料としては、国王の居室に隣接する小部屋に設けられた「カントゥーン(携帯食器箱)」に、ワイン2本と水差し2つが常に用意されていた。また、狩猟や外出の際には、水とワイン用の銀製フラスコ2個が、王家の紋章が刻まれた金縁りの赤い布張りトランクに収めて運ばれた。
ワインの購入
ワインの購入は、国王の家政機関である王室内府に属するフランス大侍従(グラン・メートル・ド・フランス)の職責であった。ヴェルサイユではコンデ公家がこの職を担っていた。まずフランス大司法総監が取引可能な最高価格を定め、続いてフランス大侍従が公証人の面前で契約書を作成する。そこには価格のほか、国王向けの良質なワインの数量と、「グラン・コミューン(一般向け)」分の数量が明記された。「グラン・コミューン」とは、国王と王子たちを除く、ヴェルサイユで食事をするすべての人々を指す。
供給者は国王から免許を与えられた特権的な商人で、ワイン商兼宿屋業主の地位を持っていた。その数も決して少なくなく、1683年には卸売・小売のワイン商が20人、宿屋業主が14人を数えた。さらに彼らは例外的な特権を享受していた。産地(テロワール)への自由な移動、貨物の安全な搬送、免税措置、そして自分が必要とする数量と品質を決めるまで、生産者のワインを他の商人への販売から差し押さえられる権利などである。
ワインの保管
原則として、ワインはパリの河岸や港の近くに保管されていた。国王がヴェルサイユに滞在する際には、第一の主要納入業者のワインはセーヴルのセラーに、第二の主要納入業者のものはグラン・コミューンに隣接する建物に貯蔵された。
国王、王子たち、廷臣たちの食事と飲料を支える約350人の使用人のうち、「ブーシュの通常監督官」がワインと水を統括し、その日の必要量を倉庫から引き出して施錠管理していた。
ルイ15世の時代には、当日分のボトルが準備され、プチット・クール・デュ・ロワ(王の小庭)近くの地下室に置かれていた。ルイ16世の時代になると、備蓄はグラン・コミューンの丸天井セラーへと移されている。
フランス国王たちが飲んださまざまなワイン
第一寝衣侍従(プルミエ・ヴァレ・ド・シャンブル)の回想録や、ワイン商人の死後に残された目録のおかげで、ヴェルサイユの王政時代に消費されたボトルの数やワインの種類の豊かさが今日明らかになっている。
シャンパーニュ
ルイ14世は1654年に初めてシャンパーニュを口にし、1694年までこれをお気に入りの飲み物とした。当時のそれは白または赤、発泡性または「スティル(非発泡)」といろいろあり、食卓で飲まれるだけでなく料理にも使われ、宮廷全体で愛飲されていた。摂政オルレアン公はシャンパーニュなしには放埒な夜会を開かなかったし、ポンパドゥール夫人は「この甘露こそ、飲んだ後も女性を美しく保てる唯一の酒」と語ったという。ルイ15世は「発泡性」シャンパーニュを好み、1733年にはセーヴルのセラーに5万本以上が貯蔵されていたが、1740年頃からはシリー、エペルネー、メルグット産の「静かな(スティル)」シャンパーニュへと好みを移した。
ブルゴーニュ
ブルゴーニュは王たちの威信を示すワインであった。14世紀以来、ブルゴーニュ公たちは自領のぶどう畑と品種を厳しく管理し、北方への交易を促進する一方で、南方産のワインが自らの産地を通過することを禁じてきた。こうしたブルゴーニュ、あるいはボーヌのワインはローマ教皇グレゴリウス11世の食卓にも供された。豪胆公フィリップはこれらをネーデルラント、ベルギー、ドイツへ売り込みながら、シャンパーニュとの競争を続けたのである。
ルイ14世の侍医ファゴンが「ブルゴーニュ・ワインのほうが健康に良い」と宣言してからというもの、その生産と売上は飛躍的に増加した。ルイ15世の時代にはマコン、トンヌール、イランシー、ムルソーといったアペラシオンのワインが33万5000リットル以上を誇り、ルイ16世のセラーにはさらにシャンベルタン、ヴージョ、ヴォーヌ・ロマネの名前も記録されている。
その他のワインと外国産ワイン
1782年の目録によれば、国王はラングドック、ヴォーヴェール、フロンティニャン、グラーヴ、ソーテルヌのワインやボルドーのワインを飲み、さらにはビールまで楽しんでいた。ほかにシャブリ、マラガ、マルヴァジア・ワイン、そして狩猟から帰還したルイ15世にしばしば振る舞われたフロンサックのワインも忘れてはならない。外国産ワインでは、1733年の時点ですでにマデイラ、ライン、アリカンテの各ワインが確認できる。ルイ16世時代の目録にはハンガリー産トカイが登場し、これはすでにルイ14世によって「ワインの王にして王のワイン」と称えられていた。また、南アフリカ(当時はオランダ領)へ亡命したボルドーのユグノーたちが生み出したコンスタンシア・ワインは、1761年にヨーロッパへ伝わっている。
こうして見ると、ワインがいかに重要な存在であったかがわかる。医師が処方し、食卓に欠かせず、銘柄によっては威信の象徴となり、「最も敬虔な王」のグラスがこの飲み物で満たされる以上、聖なる側面さえ帯びていたのである。
出典
『ヴェルサイユ城評論』第13号(2014年4月~6月号)、アレクサンドル・ロワールによる記事