ヨーロッパの歴史

ヴィルヘルム・グストロフ号の悲劇 ― 9,000人超が命を落とした史上最悪の海難事故

1945年1月30日、定員をはるかに超える乗客を乗せた「ヴィルヘルム・グストロフ号」に3発の魚雷が命中した。ソ連の潜水艦長は同船を軍艦と誤認していた。この一つの判断ミスが、避難民数千人の命を奪う結果となった。

文:シュテファン・プロイス

1945年1月30日午後9時直後、ポンメルン沿岸沖約60キロメートルのバルト海上。ソ連潜水艦「S-13」の艦長アレクサンドル・マリネスコは、ペリスコープ越しに巨大な輸送船を捉えた。照明を消し、魚雷艇「T-36」に護衛されたその船を、彼は東プロイセンの兵士を赤軍から救い出すべくバルト海を渡る軍艦だと考えた。しかし実際には、それは「ヴィルヘルム・グストロフ号」だった。1937年の進水時に名付けられたこの船の名は、1936年2月4日に暗殺されたスイス出身のナチ党(NSDAP)幹部に由来する。本来「グストロフ号」は、ドイツ労働戦線が運営する「歓喜力行団」のクルーズ船であった。船内には1万人を超える人々が乗っており、その大半は女性と子ども。兵士はわずか数百名にすぎなかった。

潜水艦「S-13」の攻撃

1937年に進水した当時、「ヴィルヘルム・グストロフ号」は世界最大のクルーズ船であった。

21時15分、マリネスコは「グストロフ号」に向けて扇状に魚雷を発射した。1発目がただちに命中し、左舷側の船首を破壊。船体は瞬時に8度傾いた。2発目は船内のプールで炸裂した。そこには主に海軍補助員たちが収容されており、21歳のウルズラ・レザスと妹のローズマリーもその中にいた。「ウラ、私たち死ぬんだね!」だがウルズラは死を受け入れず、デッキの防弾ガラスを割ろうとした。ある将校が助けに入り、窓ガラスに向けて数発発砲し、ついにガラスを打ち砕いた。大波が姉妹を甲板の外へ押し流し、二人は互いの姿を見失った。3発目は機関室に命中。機関は止まり、船内は闇に包まれた。艦橋ではペーターセン船長が、水温わずか2度のバルト海の荒波に船首甲板が飲み込まれていくのを見つめていた。

船内に広がるパニック

絶望的なまでに過密状態だった下層デッキの避難民たちに、逃げ場は残されていなかった。1万人を超える人々が一斉に脱出を試みたのである。通路では多くの人が踏み殺され、群衆は上の階へと押し合い、もみ合いながら殺到した。すでに甲板は超満員で、数の少なすぎる救命ボートをめぐる争奪戦が始まっていた。ボートは氷づくりになって降ろせず、乗員はようやく数隻の氷を取り除くのが精一杯だった。女性と子どもが優先的に乗り込む一方、水兵や兵士たちはピストルの警告射撃でパニックに陥った群衆を抑え込もうとした。

氷海での必死の生存競争

やがて「グストロフ号」の傾斜はますます深まった。多くの避難民が凍りついたデッキの床を滑って海へ落ちていった。また、12メートル下の水面めがけて舷側から飛び降り、満載された救命ボートにしがみつく者もいた。ボートの中の人々は、オールで指を叩いてまで彼らを引き剥がさざるを得なかった。氷のように冷たいバルト海で生き延びる見込みはほとんどなく、大多数は数分のうちに凍死していった。

魚雷艇「T-36」による生存者救助

魚雷艇「T-36」はただちに救援へ急行し、できる限りの救助活動を行った。最終的に救われたのは500人以上である。乗員はサーチライトで荒れるバルト海面を照らして捜索したが、多くの人にとって救援は間に合わなかった。ウルズラ・レザスと妹のローズマリーは幸運にも、奇跡的に魚雷艇に収容されていた。すると突如、「T-36」は全速力で転回する。その衝撃で救助者の一部が再び海中へ投げ出された。ソ連潜水艦が発射した2本の魚雷が辛うじて外れたのだ。「T-36」の艦長ローベルト・ヘリングは即座に爆雷攻撃を仕掛け、潜水艦に深刻な損害を与えた。

「グストロフ号」の沈没は戦争犯罪にあらず

史上最悪の海難事故から救い出されたのは約1,200人にとどまり、9,000人以上が死亡した。「タイタニック号」沈没時の実に6倍の犠牲者である。専門家の間では、「グストロフ号」の沈没は戦争犯罪には該当しないとされている。同船には兵士が乗艦しており、対空砲で武装し、護衛のもと航行灯を消して運航されていたからだ。2019年に死去したハンブルクの歴史学者アクセル・シルトは、かつてNDRの取材に対し、マリネスコは自らの任務を遂行したにすぎないと語っている。

「戦時における民間船舶への攻撃と沈没は、ドイツ側も当初から行っていた手段です。ドイツの潜水艦乗組員には、撃沈した商船の遭難者を救助してはならないという明確な命令すら出されていました」

シルトはさらに、この悲劇は第二次世界大戦と直結して評価されるべきだと強調した。

「これは『突然』襲いかかったテロ攻撃ではなく、戦争の帰結でした。戦争を始めたのはドイツです。ドイツは戦争によってヨーロッパを破壊し、殺戮で覆い尽くしました。そしてその戦争が巡り戻ってきたのです。戦争が戻れば、嘆き悲しむ罪なき人々が生まれるのは当然です。しかし、そうした出来事に至った経緯を無視することは、少なくとも極めて不用慎な態度といえます。史実とは無関係な特定の物語を印象づけることになるからです」