ギーゼラ・シルベルクとジークフリート・シルベルク夫妻は、30年前、自宅で人質に取られた。
1989年12月10日、アドベント(待降節)の第2日曜日。朝8時前、ギーゼラ・シルベルクの悪夢が始まった。バート・ザルツデットフルト(ヒルデスハイム郡)にある自宅の寝室で、大きな物音が眠りから彼女を叩き起こした。直後には犯人が目の前に立ち、銃を突きつけながら怒鳴りつけてきたという。「本当に恐ろしい出来事でした」。バート・ザルツデットフルトのグロース・デュンゲン地区の名を全国に知らしめることになったあの事件から30年、ギーゼラはそう振り返る。
ハノーファーでの発砲事件
自宅を舞台とした人質立てこもり事件は、約9時間に及んだ。犯人はギーゼラだけでなく、夫ジークフリートと、当時95歳だった母親をも支配下に置いた。夫妻には「危険な人物だ」という予感はあったものの、それ以上のことは何も知らされていなかった。前夜、口論の末にハノーファーで若い男性を拳銃で3発撃ち殺害していたこと。強姦と窃盗で服役中だったこと。たまたま外出許可で一時的に解放されていたこと。さらには、以前の脱走時にもすでに4人の人質を取っていたこと――そのすべてが、夫妻にとって初めて知る事実だった。
「それでも十分につらかった」
「事前にそんなことを知らずに済んだのは幸いでした」と、ギーゼラは今こう語る。だからこそ、状況や犯人への対応は「いくらか楽」だったという。「知っていたら、もっと震えていたと思います。それでも十分につらい経験でした」。北ドイツ放送(NDR)の地域番組『ハロー・ニーダーザクセン』の取材に対して、彼女はそう明かした。
再びよみがえる恐怖
警察はほどなくして、当時41歳の犯人の足取りをつかんだ。バート・ザルツデットフルトは逃亡ルート上の中継地点に過ぎず、犯人は列車で南へ向かう予定だった。しかし日曜日の早朝には列車が運行しておらず、計画変更を余儀なくされた犯人がたどり着いた先が、シルベルク家だったのである。人質事件の後遺症は、30年を経た今も夫妻を悩ませている。普段と違う物音が聞こえるだけで――屋根の上で動き回るテンの音でさえ――恐怖が再びよみがえると、ジークフリートはNDRに語る。彼は犯人が最後まで支配下に置いていた人質だった。
1989年12月10日の昼過ぎ、犯人は女性2人を解放した。その2時間後、ジークフリートは窓からの脱出に成功する。その後、犯人は投降し、数年後に獄中でこの世を去った。