ヨーロッパの歴史

グアダレーテの戦い(後編):711年、西ゴート王国を滅亡させた決戦

グアダレーテの戦い(後編):711年、西ゴート王国を滅亡させた決戦

ターリク軍の渡海と上陸

ドン・フリアンとの密議で結束したアギラとムーサは、ついに襲撃計画を実行に移す時機が来たと判断しました。711年、ムーサは主にベルベル人からなる約1万2,000人の軍勢を編成し、ターリクに指揮を託して派遣します。一行はドン・フリアンの手配した船で海峡を渡り、「ターリクの岩」を意味するジャバル・ターリク――現在のジブラルタル――に上陸しました。

急報を受けたドン・ロドリゴ

一方、ドン・ロドリゴ王は北部で11回目となるバスク人の反乱を鎮圧している最中に、上陸の一報を受け取ります。王はただちに半島を馬で縦断し、道中で動員できる限りの兵力をかき集めました。その中にはアギラの派閥の者たちや、アギラの兄弟であるシスペルトも含まれています。こうして集結した西ゴート(ゴーダ)軍の総数は4万人近くに達したといわれます。

グアダレーテ川での対峙

両軍はグアダレーテ川付近で激突しました。このときターリクはすでにいくつかの要衝を制圧していたといいます。数的優位を確信していたドン・ロドリゴは、重装騎兵をもってイスラーム軍へ突撃を仕掛け、両翼の指揮はアギラとシスペルトに委ねられました。

序盤こそ西ゴートの重騎兵の猛攻により侵略者側は後退しますが、短い優勢の時を過ぎると、より軽装で機動力に優れたターリクの騎兵が巧みに敵を翻弄し、形勢は次第に傾いていきました。そこで王は両翼に攻撃を命じますが、驚くべきことにアギラの配下の兵たちはその場を放棄し、戦線から離脱してしまったのです。

裏切りの果て、そして王国の滅亡

ドン・フリアンの復讐はここに現実のものとなりました。イスラーム軍の騎馬弓兵たちが西ゴート軍の陣列に壊滅的な打撃を与え、数日に及ぶ戦闘の末、王の軍は敗北しました。ドン・ロドリゴは戦死したと考えられていますが、遺体はついに発見されなかったといいます。一方、ペラヨだけは脱出に成功しました(彼については別の話で触れる予定です)。

勝利を収めたムスリム軍は、貴重な戦利品である王室の宝物庫をも手中に収めました。アギラとその一味は、王座の奪還を目前に控え内心ほくそ笑んでいたはずです。当初の取り決めでは、ターリクとその軍勢は戦利品を持ち帰り、いくらかの小競り合いを経て北アフリカへ引き揚げることになっていたからです。しかしムーサには別の壮大な構想がありました。それは半島全体を征服し、さらに地中海を周航してダマスカスまで至るという野望だったのです。