ヨーロッパの歴史

アフリカの三つ編みヘアスタイル――美の表現、それとも自由への暗号?

数年前、カリブ海への旅を思い出します。滞在中、グループの女性たちが次々とアフリカ風の三つ編み(コーンロウやブレイドとも呼ばれるスタイル)を試したのです。この職人的な編み師の手に委ねるには、ある程度の長さの髪と、何よりたっぷりの忍耐が必要でした。仕上がりは、頭全体を覆う小さくきつく編まれた三つ編みが織りなす、幾何学模様にも見える格子状の芸術。色糸やビーズで飾られたその髪型には、実にさまざまなバリエーションがありました。

当時は単に「個性的でおしゃれ」という純粋な美的選択にすぎませんでしたが、この三つ編みの歴史をたどると、もっと重いテーマが浮かび上がってきます。それは「自由への道」です。

アフリカの三つ編みヘアスタイル――美の表現、それとも自由への暗号?

身分と帰属を示すアイデンティティの証

この髪型の正確な起源を特定するのは難しいものの、サハラ以南のアフリカの部族社会において、三つ編みが社会的地位や民族、年齢などを示すアイデンティティの象徴だったことは確かです。16世かです。16世紀以降、ヨーロッパ人によって奴隷としてアメリカ大陸へ連れて行かれたアフリカの人々も、まさにこの地域から連れ去られました。

そして船に積み込まれる際、奴隷商人たちは「衛生上の理由」だと称して彼らの髪を切り落としました。本人たちが気づかないうちに、部族との絆、ルーツの象徴までも奪われていたのです。

アフリカの三つ編みヘアスタイル――美の表現、それとも自由への暗号?

逃亡者「シマロン」たちと自由の共同体

鞭や罰則によって服従させようとしても、生まれながらに自由だったアフリカ人たちの抵抗は止みませんでした。抵抗の形は二つありました。一つは受動的抵抗――手抜き作業、作物のボイコット、農具の破壊、さらには自ら命を絶つこと。もう一つは能動的抵抗――暴動の起こしや脱走です。

実際、16世紀末には、カリブ海地域やヌエバ・グラナダ王国における逃亡奴隷(シマロン)が、スペイン王室にとって深刻な問題となっていました。労働力の喪失だけでなく、彼らは集団を組んで農園を襲撃し、さらなる奴隷を解放していたからです。やがて彼らは、アフリカ式の組織モデルにならった共同体を形成し、外部からの接近が困難な場所に定住しました。これらの拠点はパレンケやキロンボと呼ばれます。

こうした共同体の人々は、近隣の農園からの略奪、狩猟、周辺の土地での耕作、そしてヨーロッパ人商人や海賊との密貿易によって暮らしていました。当然、王室は討伐遠征隊を送りましたが、密林や険しい山地に点在する集落を見つけ出し、制圧することは容易ではありませんでした。そのため、スペイン当局はしばしば、「逃亡奴隷を新たに受け入れず、農園を襲撃しないこと」を条件に、彼らの存在を尊重すると約束する協定を結ぶしかありませんでした。

後の時代、こうした集落の中には現在まで存続する町の起源となったものもあります。コロンビアのサン・バシリオ・デ・パレンケや、メキシコのパレンケなどがその代表例です。

頭に編み込まれた「地図」

では、三つ編みと逃亡奴隷にどんな関係があるのでしょうか?

意外に思えるかもしれませんが、深い関わりがあるのです。当初の逃亡者にとって動機はただ一つ、脱出そのものでした。どこへ隠れ、どう生き延びるのか、具体的な計画などないまま、とにかく捕まりさえしなければよいという状況でした。しかし、脱走が計画的になってくると、地形、川、森、街道といった土地の情報が不可欠になります。そして、その情報収集を担ったのが女性たちでした。

女性の奴隷は「脅威度が低い」とみなされ、プランテーションの外に出る一定の移動の自由が認められていました。厳しく監視されていた男性たちよりも、周囲の環境をはるかに詳しく知ることができたのです。紙などに詳細を書き留めることは不可能であり、発見されれば命に関わる危険もありました。そこで彼女たちは、逃亡を助ける情報を、自らの三つ編みに「地図」として編み込むことを思いついたのです。

アフリカの三つ編みヘアスタイル――美の表現、それとも自由への暗号?

年長のアフリカ人女性たちが、反骨精神を宿したアフロヘアをスカーフで包みながら、若い女性たちの髪を編む――そんなのどかな日常の光景に、現地の地図情報が隠されていました。目にした重要な情報のすべてが、この「頭皮上の地図」に刻まれていったのです。すべてを暗記する必要はなく、いつでも確認でき、何より主人の目の前でも疑われることなく「参照」できました。農園主にとっては、幾何学模様を作る小さな三つ編みのアフリカ風ヘアスタイルにしか見えなかったのです。

やがてシマロンたちが共同体を築くようになると、三つ編みのデザインは、脱出を助ける地図からさらに進化し、自由の聖域であるパレンケへと至る本物の脱出路を示すものへとなっていきました。

種子まで運んだ希望の編み目

さらに興味深いことに、三つ編みを作る際に植物の種子を混ぜ込み、後でパレンケの周囲に蒔いていたという話もあります。逃亡の道標であると同時に、新しい生活の糧となる種を運んだのです。美しさと知恵、そして希望までもが、一本一本の編み目に込められていたのです。