ヨーロッパの歴史

ソ連は独ソ不可侵条約から何を得たのか?モロトフ=リッベントロップ協定の実態

独ソ不可侵条約の締結

1939年8月23日、ソ連とナチス・ドイツはモスクワで「独ソ不可侵条約」(モロトフ=リッベントロップ協定)に調印しました。表向きは両国が互いに攻撃しないことを約束する不可侵条約でしたが、その裏には東ヨーロッパの支配地域を両国で分割するという密約が隠されていました。

秘密議定書の内容

この条約には「秘密追加議定書」が添付されており、ポーランドの分割方法や、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ベッサラビア(現在のモルドバ一帯)における両国の勢力圏について取り決められていました。つまり、この協定は単なる平和維持のための合意ではなく、東欧諸国の運命を事前に決めつける、きわめて帝国主義的な外交取引だったのです。

ソ連が実際に手に入れた領土

条約締結後、ソ連は次々と領土拡大を実現させていきました。

  • ポーランド東部:1939年9月17日、ドイツのポーランド侵攻に呼応する形でソ連軍が東部へ進駐し、西ウクライナおよび西ベラルーシとされる地域を併合しました。
  • バルト三国:1940年、エストニア、ラトビア、リトアニアを相次いで併合し、ソ連の構成共和国としました。
  • フィンランド:1939年11月に冬戦争を開始し、講和によってカレリア地峡などを含む一部領土を獲得しました。
  • ベッサラビアと北ブコヴィナ:1940年にルーマニアへ圧力をかけ、これらの地域を割譲させました。

領土以外にもたらされた利益

ソ連が得たのは領土だけではありません。ドイツとの開戦を一時的に回避できたことで、戦争への備えを整える貴重な時間を稼ぐことができました。また、経済面では両国間で資源や技術の取引も活発に行われました。ただし、この密約体制は1941年6月の独ソ戦開始によって崩壊し、ソ連は結果的にドイツの全面的な侵攻を受けることになります。

まとめ

ソ連が独ソ不可侵条約から得た最大のものは、ポーランド東部とバルト三国を中心とした広大な新領土、そして対独戦争に備えるための時間でした。しかしその一方で、東欧諸国の人々は占領と抑圧の歴史を背負うこととなり、この密約は今日でも歴史上最も不道徳な外交取引の一つと評価されています。