ヨーロッパの歴史

ニセフォール・ニエプス――忘れられた「写真の父」

デジタル革命を迎えた現代の私たちにとって、写真の歴史がどれほど激動に満ちていたか、また、たった一枚の写真を写すためにどれほど長い歳月と苦労が費やされたのかを想像するのは容易ではありません。今や誰にとっても身近な存在となったこの発明は、ひとりのフランス人、ニセフォール・ニエプス(Nicéphore Niépce)の功績によるものです。

聖職を捨てた青年時代

1765年、ソーヌ=エ=ロワール県シャロン=シュル=ソーヌ近郊に生まれたニエプスは、もともと聖職者になるべく教育を受けていました。しかしそのキャリアを断念し、革命軍に志願してイタリア戦役に参加します。ところが数年後、軍務を離れた彼は、以前から強い関心を寄せていた化学の道へと歩みを進め、兄クロードとともに一連の研究に取り組むようになりました。

世界初の内燃機関「ピレオフォア」

兄弟は「ピレオフォア(Pyréolophore)」と呼ばれる装置を開発しました。これは世界初の内燃機関とされるもので、1807年には特許も取得しています。その後、兄クロードが亡くなると、ニセフォールは研究の中心を「ヘリオグラフィー(太陽光を用いた製版技法)」へと移し、太陽光によって静止画を写し取り、定着させるという目標に向かって研究を深めていきました。

ニセフォール・ニエプス――忘れられた「写真の父」

世界最古の写真の誕生

やがてニエプスは写真製版法(フォトエングレービング)を発明し、錫板、研磨したガラス、銅板など、さまざまな支持体を用いてその改良を重ねました。ネガではなくポジ画像を直接定着させるという彼の発見こそが、彼を写真の最初の発明者たらしめたのです。現在知られている最古の写真は1822年の作品で、彼の庭に設えられた食卓の様子を写したものでした。デジタル時代のスピードとはほど遠く、初期の写真撮影に必要な露光時間は、直射日光の下になんと8時間にも及んだといいます。

ダゲールとの提携、そして届かなかった栄光

1829年、ニエプスは発明家として名を馳せていたルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと手を結び、技法の実用化・商業化に向けた共同研究を開始しました。しかしニエプスはその成果を目にすることなく、1833年にこの世を去ります。ダゲールはその後6年にわたって研究を継続し、1839年、ついに単独で科学アカデミーの前へと「ダゲレオタイプ」を発表しました。

こうしてニセフォール・ニエプスは、近代写真の傑出した発明者として人々の記憶に残ることはありませんでした。それでも、人類史上最初の「スナップショット」を写し取った人物であることに変わりはありません。

ニセフォール・ニエプス――忘れられた「写真の父」
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探検家たちの新しい道具、絵画との微妙な関係

ダゲレオタイプはまた、探検家たちの間でも大きな人気を博しました。彼らはこの技術によって地形を正確に把握できるようになり、自らが踏破した未知の世界の姿を写真として持ち帰ることが可能になったのです。

一方、写真はその誕生当初から、絵画とも複雑で曖昧な関係を築いてきました。この驚くべき発明を警戒の目で見る画家がいる一方で、その可能性に心を開く者もいました。画家ギュスターヴ・ル・グレーは、写真が産業の分野に閉じ込められることなく芸術の領域に受け入れられることを望み、自らも写真家へと転身していったのです。

ニエプスの生涯・略年譜

  • 1788年:聖職を断念し、シャロン=シュル=ソーヌの国民衛兵に入隊
  • 1794年:軍隊を離れる
  • 1816年:ヘリオグラフィーの研究を開始
  • 1829年:ダゲールと提携
  • 1839年:ダゲレオタイプの販売開始。「ダゲレオタイプマニア」と呼ばれる熱狂的ブームが巻き起こる

出典・参考文献

(1)『ル・グラの窓からの眺め(Point de vue du Gras)』――1827年、ニセフォール・ニエプスが撮影した現存最古の写真。

『ニセフォール・ニエプス 書簡と論考』(2003年)
『明かされた像――写真の発明』(2001年)
ミシェル・フリゾ&フランソワーズ・デュクロ著『ニセフォール・ニエプス』(1999年)