ヨーロッパの歴史

ルイ14世の「フォンテーヌブローの勅令」とは?ナントの勅令撤回がもたらしたもの

フォンテーヌブローの勅令とは

1685年10月、フランス国王ルイ14世が発布した「フォンテーヌブローの勅令」は、1598年にアンリ4世によって発布され、フランス国内のプロテスタント(ユグノー)に信仰の自由を認めていた「ナントの勅令」を正式に撤回したものでした。この決定により、約90年間続いたフランスにおける宗教的寛容の時代に終止符が打たれることになりました。

勅令の主な内容

フォンテーヌブローの勅令により、フランスにおけるプロテスタントは事実上非合法化されました。すべてのプロテスタントに対し、カトリックへ改宗するか、さもなくば国外へ去るかの選択が強制されたのです。さらに、プロテスタントの学校や礼拝の実施は禁止され、プロテスタント関連の書物の印刷や頒布も厳しく取り締まられました。

フランス史における転換点

ナントの勅令の撤回は、フランス史上の重大な転換点として位置づけられています。国内の宗教的寛容は終焉を迎え、プロテスタントへの組織的な迫害が本格化しました。ドラグナード(騎兵宿営)と呼ばれる強制的な改宗手段も用いられた結果、推定20万人前後のユグノーがオランダ、イギリス、プロイセン、スイスなどへ亡命しました。

この大量亡命により、フランスは熟練した職人・商人・技術者といった貴重な人材を失い、経済面でも大きな打撃を受けたとされています。一方で、亡命者たちの受け入れ国では産業や商業の発展に寄与するなど、ヨーロッパ全体に広範な影響を及ぼしました。