20世紀初頭のヨーロッパは、二つの巨大な軍事ブロックによって二分されていました。1907年までに、当時の列強(大国)は互いに対立する次の2つの同盟を形成していました。
1. 三国同盟(Triple Alliance)
三国同盟は1882年に、ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアの3か国によって締結されました。この同盟は主として防衛的な性格を持つもので、加盟国のいずれかが他国から攻撃された場合には、同盟国が相互に援助を行うことを約束したものでした。ドイツの宰相ビスマルクによる外交戦略の一環として結成されたこの同盟は、中央ヨーロッパにおける強固な軍事的枠組みとなりました。
2. 三国協商(Triple Entente)
一方、三国協商は1907年に、イギリス・フランス・ロシアの3か国の間で成立しました。三国協商は三国同盟ほど厳格な条約形式をとっていなかったものの、ヨーロッパで最も強大な力を持つ3か国をひとつにまとめた点で極めて重要な意味を持っていました。英仏協商(1904年)や英露協商(1907年)といった一連の協調関係の積み重ねにより、事実上の同盟関係が築かれたのです。
二つの同盟がもたらした影響
この二つの対立する陣営の形成は、ヨーロッパ全体を「同盟国側」と「協商国側」に分断することになりました。各国は自陣営への義務を負うことになり、局地的な紛争が容易に全体規模の戦争へと拡大する危険性をはらむことになります。実際、1914年に勃発した第一次世界大戦では、まさにこの同盟体系が連鎖反応のように機能し、ヨーロッパ全土を戦火に巻き込んでいったのです。