パリ講和会議とは
パリ講和会議は、第一次世界大戦の終結を受けて1919年1月にフランス・パリで開かれた国際会議です。戦勝国である連合国側が主導し、敗戦国との講和条約や戦後の国際秩序(いわゆるヴェルサイユ体制)について協議が行われました。
出席した連合国(戦勝国)の代表
会議の中心となったのは、以下の「五大国」と呼ばれる連合国です。
- アメリカ合衆国:ウィルソン大統領が率いる代表団が参加し、「十四カ条の平和原則」を提唱しました。
- イギリス:ロイド・ジョージ首相が代表として出席しました。
- フランス:開催国として、クレマンソー首相が会議の議長を務めました。
- イタリア:オルランド首相が代表団を率いて参加しました。
- 日本:西園寺公望公を首席全権とする代表団を派遣し、国際連盟規約への「人種差別撤廃」条文挿入案などを提出しました。
ロシアは不参加
連合国の一員であったロシアは、1917年の革命によってボリシェヴィキ政権が成立していたため、会議への招待を受けず、代表を派遣しませんでした。
同盟国(中央同盟国)の扱い
一方、敗戦国である中央同盟国——ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国——の代表は、会議そのものには招待されませんでした。これらの国々は、後から提示された講和条件に署名する形を強いられ、特にドイツには厳しい内容の「ヴェルサイユ条約」が課されました。
まとめ
パリ講和会議に実際に出席したのは、アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・日本という戦勝五大国をはじめとする連合国側です。ロシアは革命の影響で欠席し、中央同盟国は招かれなかったという点が、この会議の大きな特徴といえます。