1940年末のヨーロッパ情勢
第二次世界大戦開戦から1940年末までの間に、ナチス・ドイツはポーランド、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、そしてフランスを相次いで占領または支配下に置きました。この時点で、ドイツの支配を免れていたヨーロッパの主要国は、ソビエト連邦(ソ連)とイギリスの2か国のみでした。
ソビエト連邦の場合
ソ連は1939年8月に締結された独ソ不可侵条約により、一時的にドイツとの関係を維持していました。この条約には東欧における勢力圏を分割する秘密議定書が含まれており、ソ連はその間にバルト三国やベッサラビアなどへの影響力拡大を進めていました。そのため、1940年末の時点ではドイツと直接交戦状態にはありませんでした。
イギリスの場合
一方、イギリスはフランス陥落後も単独で戦い続けました。1940年夏から秋にかけて行われた「バトル・オブ・ブリテン」では、ドイツ空軍による激しい空襲を撃退し、本土上陸作戦(アシカ作戦)を未然に阻止することに成功しました。チャーチル首相の強硬な指導の下、イギリスはドイツに対抗するヨーロッパ最後の砦となったのです。
その後の展開
しかし、この構図は長くは続きませんでした。1941年6月、ドイツは突如ソ連への侵攻(バルバロッサ作戦)を開始し、同年12月には真珠湾攻撃をきっかけにアメリカが参戦します。こうしてソ連とイギリスは、後にアメリカとともに連合国の中核として戦争を戦い抜くことになりました。