フランス王シャルル10世が打倒された理由
フランス国王シャルル10世(在位:1824年〜1830年)が打倒された最大の理由は、言論の自由の制限と選挙権の縮小といった反動的な政策にありました。これらの政策に対する国民の強い反発が、1830年の「七月革命」へとつながり、結果として王位から追われることになったのです。
シャルル10世の問題ある政策とは
シャルル10世は、フランス革命以前の絶対王政への回帰を目指す保守的な君主でした。即位後、彼は次のような政策を次々と実施しました。
・出版・報道の自由の制限:政府に批判的な新聞や出版物を取り締まり、言論統制を強化しました。
・選挙権の制限:議会の権限を弱め、投票権を持つ者を富裕層のみに限定しようとしました。
七月勅令が引き金となった七月革命
決定的な転換点となったのは、1830年7月に発布された「七月勅令(サン=クルー勅令)」です。この勅令により、出版の自由が停止され、選挙資格がさらに厳しく制限されました。これに対し、パリの市民や労働者、学生たちが蜂起し、バリケードを築いて王政に立ち向かいました。これが「七月革命」です。
革命の結果、王位を追われたシャルル10世
革命の勢いを抑えられなくなったシャルル10世は、1830年8月に退位し、イギリスへ亡命しました。こうしてブルボン朝の復古王政は終わりを迎え、代わってオルレアン家のルイ・フィリップが「市民王」として即位し、七月王政が始まりました。
まとめ
シャルル10世が打倒されたのは、報道の自由や選挙権を制限する強硬な政策が国民の反発を招いたためです。時代の流れに逆行する政治は、最終的に七月革命という形で民衆の力によって覆されることとなりました。