ヨーロッパの歴史

第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリーが受けた懲罰とは?トリアノン条約の内容を解説

第一次世界大戦に敗北したオーストリア=ハンガリー帝国は、1918年の帝国崩壊後、連合国から極めて厳しい講和条件を突きつけられました。継承国となったオーストリアには「サン=ジェルマン条約」(1919年)、ハンガリーには「トリアノン条約」(1920年)が締結され、両国はかつての大国としての地位を完全に失うことになりました。

トリアノン条約(1920年)によるハンガリーへの懲罰

ハンガリー王国が連合国と締結したトリアノン条約(1920年)により、ハンガリーは戦前の領土の64%、人口の約60%を喪失しました。これは20世紀の講和条約の中でも最も苛烈なものの一つとされており、その影響は以下の三つの側面から見ることができます。

1. 領土の喪失

トランシルヴァニアはルーマニアへ、スロヴァキアは新興のチェコスロヴァキアへ、クロアチアやヴォイヴォディナはセルビア=クロアチア=スロヴェニア王国(後のユーゴスラヴィア)へと割譲されました。その結果、ハンガリーは国土を大きく縮小され、内陸国として再出発することを余儀なくされました。

2. 経済資源の喪失

割譲された地域には肥沃な農地、森林資源、鉱山、鉄道網などが含まれていたため、ハンガリー経済は深刻な打撃を受けました。かつて一体だった工業地帯と農業地帯が国境線によって分断され、食料や原料の自給自足さえ困難になったことが大きな痛手となりました。

3. 政治的権力と威信の喪失

中欧の大国としての地位は完全に失われ、軍備も大幅に制限されました。さらに300万人を超えるハンガリー系住民が新たな国境の外側に取り残され、国内には強い不満と「トリアノン・ショック」と呼ばれる国民的衝撃が広がりました。この傷はその後のハンガリーの外交政策に長く影を落とすことになります。

オーストリアへの懲罰:サン=ジェルマン条約

一方、オーストリアは1919年のサン=ジェルマン条約によって、ボヘミアやガリツィアなど広大な領土を失い、人口数千万規模の帝国から約650万人の小国へと転落しました。ドイツとの合併(アンシュルス)は禁止され、軍備は3万人に制限され、賠償金の支払い義務も課されました。

このように、第一次世界大戦の終結は、かつての二重帝国にとって領土・経済資源・政治的権力と威信のすべてを奪われる過酷な懲罰となったのです。