ヨーロッパの歴史

ドン・ペドロ皇帝はナポレオンから逃れたのか?ポルトガル宮廷のブラジル遷都とリオデジャネイロの真相

「ドン・ペドロ皇帝がナポレオンから逃れて、ポルトガルからブラジルへ移った」という説明は、歴史的事実としては正確ではありません。実際には、ポルトガル(ひいてはブラジル)の宮廷がリオデジャネイロへ移転したのは1808年のことです。この移転を主導したのは、当時の女王ドーナ・マリア1世の治世下にあるポルトガル王室であり、ドン・ペドロ個人の決断によるものではありませんでした。

遷都の背景:フォンテーヌブロー条約とフランス軍の脅威

この歴史的大移動の直接のきっかけとなったのが、1807年10月27日にフランスとスペインの間で秘密裏に調印されたフォンテーヌブロー条約です。この条約によりフランス軍は、スペイン領内を通過してポルトガルへ進駐する許可を得ました。ナポレオンによるポルトガル侵攻が目前に迫る中、ポルトガル王室は本国に留まることを断念せざるを得なくなりました。

王室の脱出とリオデジャネイロへの航海

1807年11月末、女王マリア1世と摂政ジョアン王子(後のジョアン6世)率いる王室一族、貴族、高官らおよそ1万人規模の人々が、イギリス海軍の護衛のもとリスボンを出港しました。彼らが去った直後にフランス軍がリスボンに入城したと伝えられています。船団は1808年1月にブラジル北東部のバイーア(サルバドール)へ到着し、同年3月にリオデジャネイロへ入港しました。

リオデジャネイロ——新たな帝国の中心

こうしてリオデジャネイロは、ヨーロッパ以外の土地に置かれたポルトガル帝国の事実上の首都となりました。欧州列強の宮廷全体がその植民地へ移転した例は、世界史上でもこの一件だけとされています。さらに1815年には、ブラジルは「ポルトガル・ブラジル・アルガルヴェ連合王国」の一員として王国の地位に昇格し、リオデジャネイロは正式な首都としての地位を確立しました。

ドン・ペドロとの関係

後に初代ブラジル皇帝となるドン・ペドロ(ペドロ1世)は、この移転のときまだ9歳の少年でした。彼は父ジョアン6世とともにブラジルへ渡り、1820年のポルト革命(自由主義革命)後も帰国せずブラジルに留まり、1822年にブラジル独立を宣言して皇帝に即位しました。
つまり、ナポレオンの軍勢から逃れたのはドン・ペドロ皇帝本人ではなく、女王マリア1世と摂政ジョアン王子に率いられたポルトガル王室全体だったのです。