ドイツの戦略 ― 電撃戦(ブリッツクリーク)
1940年5月、ナチス・ドイツはフランスへの侵攻を開始しました。その中核となったのが「電撃戦」、すなわちブリッツクリークです。これは、圧倒的な速度と奇襲効果によって短期間で決定的な勝利を収めることを目指す戦術でした。
従来のような広い正面での消耗戦ではなく、狭い区間に戦力を集中させ、敵の防、敵の防衛線を深く貫く「縦深突破」を行う点が最大の特徴です。さらに、以下の各兵種を有機的に結び付けた「諸兵科連合攻勢」を実践しました。
・歩兵部隊による前線の確保と占領
・砲兵による強力な火力支援
・戦車(機甲部隊)による突破口の拡張
・航空機による近接航空支援
ドイツ軍は、フランス軍が防備の手薄だと見ていたアルデンヌ地方の隙間を見逃しませんでした。戦車部隊の通行は困難だと考えられていたこの森林・丘陵地帯から主力機甲部隊を一気に突入させることで、連合軍の戦線を分断。わずか6週間足らずでフランスを降伏へ追い込みました。
フランスの戦略 ― マジノ線と持久防御
一方のフランスは、第一次世界大戦の壕戦の教訓に基づき、独仏国境沿いに巨大な要塞線「マジノ線」を築き上げていました。コンクリート製トーチカ、地下施設、対戦車障害物などを備えたこの要塞線は、ドイツ軍の正面攻撃を防ぎ、時間を稼ぐための盾となるはずでした。
フランス軍の構想はおおむね次のとおりです。
・マジノ線でドイツ軍の攻撃を食い止め、持久する
・同盟国(イギリス軍など)の増援が到着し、総反撃の態勢が整うまで耐え抜く
・機動予備師団を後方に温存し、必要に応じて反撃へ投入する
しかし、この戦略には致命的な弱点がありました。マジノ線はベルギー国境方面まで延伸しておらず、しかもフランス軍首脳は「アルデンヌの森なら戦車部隊は通過できない」と過信していたのです。結果、ドイツ軍は想定外の方向から戦線を突破し、巨額の費用を投じたマジノ線はほぼ無力化されてしまいました。
まとめ ― 勝敗を分けたもの
1940年のフランス侵攻は、機動性と集中を重視するドイツの電撃戦が、固定陣地に依存したフランスの防御戦略を圧倒した典型例といえます。戦車・航空機・無線通信を統合運用するという新しい戦争の形は、以降の世界各国の軍事思想に計り知れない影響を与えることになりました。