ヨーロッパの歴史

ソ連の戦後拡大主義は「自衛」だったのか?ドイツ再侵略への恐怖という主張の背景

第二次世界大戦後、ソビエト連邦(ソ連)は東欧諸国への影響力拡大を積極的に進めましたが、ソ連自身はこの拡大主義について「将来起こりうるドイツによる侵略から自国を守るための防衛措置である」と主張していました。

二度にわたるドイツからの侵攻という歴史

この主張には、深い歴史的背景がありました。ソ連は、20世紀前半の二つの世界大戦において、いずれもドイツから領土を侵攻されるという苦い経験をしていたのです。

  • 第一次世界大戦(1914年〜1918年):当時のロシア帝国は、ドイツ帝国との間で東部戦線をめぐり激しい戦闘を繰り広げ、最終的に革命と帝国崩壊へと至りました。
  • 第二次世界大戦(1941年〜1945年):ナチス・ドイツによる「バルバロッサ作戦」により、ソ連は国土の西部を蹂躙され、約2,700万人ともいわれる膨大な人的損害を負いました。

「緩衝地帯」構築という安全保障政策

こうした二度の惨禍を経験したことで、ソ連はドイツを再び直接の隣国として持つことに強い警戒心を抱くようになりました。そこで採られたのが、ポーランドや東ドイツなどの中間諸国を自陣営に組み込み、西側勢力と自国との間に「緩衝地帯」を形成するという安全保障政策です。

もっとも、この主張は純粋な防衛目的のみにとどまらず、共産主義体制の輸出や勢力圏の確保といった意図も併せ持っていたと考えられており、これがやがて米ソ対立、すなわち冷戦の幕開けにつながっていくことになります。